闘病とその死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:29 UTC 版)
2011年、キューバ訪問中に癌の摘出手術と治療を受けた。 2012年に任期満了に伴う大統領選挙が行われた。10月7日の投票日に1998年以来最高の80.94%の投票率を記録。投票所には長蛇の列が続き、選挙管理委員会は予定時間を延長して投票を受け付けた。対立候補のエンリケ・カプリレス・ラドンスキーとの接戦が報じられたが、カプリレスを制して4選を果たした。投票結果はチャベスの得票数が8,136,637(55.26%)、カプリレスが6,499,575(44.14%)で、チャベス大統領の任期は2013年1月10日から6年間となり、任期を全うすれば計20年にわたる政権を担うことになる。しかし選挙後、病状が悪化。12月10日にはがんの手術及び治療のため、再びキューバへ渡った。その後、1ヶ月以上動静が伝えられなかったため一時は死亡説も流れたが、2013年2月18日に帰国。副大統領と面会した動静が伝えられた。 詳細は「ウゴ・チャベスの死と葬儀」を参照 しかし、2013年3月5日、ニコラス・マドゥロ副大統領がテレビで演説し、チャベスがカラカス市の軍病院で死去したことを発表した。同日、マドゥロ副大統領が暫定大統領に就任した(そしてその後選挙を経て正式に大統領に)。葬儀には数百万人の群集に加え、中南米・カリブ諸国を中心に32ヵ国の首脳が参列し(中南米・カリブ以外ではイランのアハマディネジャド大統領とベラルーシのルカシェンコ大統領が参列)、国内外におけるチャベス大統領の影響力の大きさが改めて示される結果となった[要出典]。 ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は、政策や考えの違いがあったことを率直に認めつつ、「ブラジル人の友人の、取り返しのつかない喪失に」黙祷を捧げた。なお、ブラジルからはルラ前大統領も参列している。
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