癌の再発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)
1952年4月の左乳房切除後も、ふみ子は癌の再発防止のためX線照射の治療を継続していた。治療のためにしばしば札幌の病院に通院し、その際は小樽の妹夫婦の家に泊まった。そのような中、1953年3月に異常が発見され異常部分の切除が行われたが、この時は良性のもので癌の再発ではなかった。 その後もふみ子は小樽の妹夫婦宅に泊まりながら札幌への定期通院を続けていた。10月、癌の再発が確認された。そこで前回手術を行った帯広の新津病院で右胸部の転移部分の切除が行われた。12月、ふみ子は札幌へ向かった。札幌医科大学に癌研究室が新設されたことを知り、そこで治療を受けようとしたのである。度重なるX線照射と術後ということもあってふみ子は強度の貧血状態であった。ふみ子は小樽の妹夫婦宅に約2週間滞在し、まずは貧血の治療を行い、ある程度回復した後、札幌医科大学附属病院で癌の治療を再開することになった。通院再開後、札幌医科大学附属病院の主治医と妹の夫・畑晴夫は治療方針について話し合い、結局入院治療を行うことになった。入院のベッド待ちの間、ふみ子は帯広にいったん戻った。なお畑晴夫には予後絶対不良を通告されていたが、ふみ子には秘密とされた。
※この「癌の再発」の解説は、「中城ふみ子」の解説の一部です。
「癌の再発」を含む「中城ふみ子」の記事については、「中城ふみ子」の概要を参照ください。
- 癌の再発のページへのリンク