癌の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 14:05 UTC 版)
タミーはスターとしての地位を確立する一方、幼少期からの頭痛が継続的に発症するようになっていった。彼女は痛みを訴えたが、周囲は充分に活動できると思っていた。 しかし1967年10月14日、ヴァージニア州のハンプデン・シドニー大学での公演中タミーは倒れてしまう。マーヴィンに支えられステージを降りたタミーだが、後に医者はタミーの脳の右側に悪性腫瘍を発見する。 最初の手術後、タミーはマーヴィンとのデュエットで「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」(Ain’t Nothing Like The Real Thing)「ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」(You’re All I Need To Get By)をレコーディング。両作ともR&Bチャート1位の大ヒットとなった。1968年8月には両作を収めたアルバム「ユーアー・オール・アイ・ニード」(You’re All I Need)がリリースされ、ヒットした。 しかしタミーの楽観視に反し病状は悪化、更なる手術が必要となる。病気が原因で1969年までに彼女はステージでの演奏活動から引退することとなった。 1969年1月には最初で最後のソロ・アルバム「イレジスティブル」(Irresistible)が発表されたが、タミーの病状では新しい録音が出来なかったため、このアルバムは1965年から1968年に録られた音源で構成されている。 1969年9月にはマーヴィンとのデュエット3作目、「イージー」(Easy)がリリースされるが、後年マーヴィンは本作の新録にはタミーが参加していないと暴露している。タミーの代わりを作曲兼プロデュース・チーム、アシュフォード&シンプソンのヴァレリー・シンプソンが歌っているとし、「ベリー・ゴーディがタミーの病気で商売した」と言っている。 ヴァレリー・シンプソンはマーヴィンの発言を否定した上でマーヴィンの歌入れ時にタミーの代役をしたことは認め、後にタミーの歌に差し替えたと主張。真相は不明である。(但し僅かではあるが数曲はタミーの過去のソロ音源にマーヴィンが歌を重ねているため、アルバムすべてが疑わしい訳ではない。) 1969年の終わり、マーヴィンのアポロ・シアター公演にタミーは車椅子で訪れた。タミーを見つけたマーヴィンはタミーの元に駆けつけ、共に「ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ」を歌う。これがタミーにとって最後のパフォーマンスとなった。
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