きゅうか‐むら〔キウカ‐〕【休暇村】
休暇村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 17:00 UTC 版)
休暇村(きゅうかむら)とは、国立公園や国定公園内の景色や環境の良いところに、滞在型のバカンスを楽しめるように設置されたレクリエーション、保養施設である。スキー、テニス、海水浴、オリエンテーリングなどのスポーツ、レクリエーションや自然歩道の散策、合宿、研修に利用されている。
- ^ 佐渡市関連事業のお知らせ(プレスリリース) 佐渡市 (2024年4月27日閲覧)
- ^ 新潟・佐渡関岬オートキャンプ場→「ist-sado」に4月27日リニューアル!海一望の宿泊棟、サウナは日帰り利用も○ 新潟日報 (2024年4月27日閲覧)
休暇村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 02:04 UTC 版)
朝鮮特需から高度経済成長へと移っていった昭和30年代、生活の安定により国内では観光の大衆化が進み、野外活動など新たなレクリエーションが生まれた。そして、都市環境の悪化により自然志向が高まっていった。こうした中で自然公園法制定、厚生省(現・厚生労働省)により集団活動施設の新規整備など国立公園・国定公園の整備造成が進んだ(当時国立公園の管轄は厚生省)。これが後の「国民休暇村」整備計画となる。1960年厚生省及び広島県は大久野島への国民休暇村整備を公表、1961年財団法人国民休暇村協会が設立されると協会により建設は進み、島の99.7%・灯台以外の土地遺構は厚生省所管となり、1963年7月開場した。総事業費7億7300万円(当時)。 1971年環境庁(現・環境省)が設置されると国民休暇村は厚生省から環境庁に移管され、2001年国民休暇村は現在の休暇村に改称している。 電源開発によって本州と四国を結ぶ送電線である中四幹線が整備されたのもこの頃で、1962年竣工した。後に本四連系線ができたことにより、中国電力による本州から大三島へ電力を送る大三島支線として運用されている。なお忠海と大久野島を結ぶ送電線を支える2つの鉄塔は高さ226mと日本一高いもの。 1962年。工事中。 1964年。 1974年。 1981年。 「大久野島の毒ガス製造#残存」を参照 この間にも、島の負の歴史部分が現れている。例えば、1961年に国民休暇村になるにあたり、県は自衛隊に島内に残留している毒ガスの調査を依頼した。すると防空壕内から2.5トントラックで5~6台分の毒ガスが発見されている。また同年、建設工事請負業者が工事中に土中に埋められていた毒ガスに被災する事故も起こっている。以降、国民休暇村拡張工事の際に被災者が出てしまうなど、1972年まで発見・被災は続いた。 かつては島の遺構を国の史跡として指定されるよう運動が起きたこともあった。 近年で特に問題となったのが、1995年3月から1996年5月の環境庁による大規模調査で、環境基準を大きく超えるヒ素による土壌汚染が確認されたことである。土壌自体は1997年11月までに対策工事が完了している。2009年の報道によると、これを受けて行われた県による周辺海域の海中汚染モニタリングではヒ素は検出されておらず、海洋生物の異常報告もなかったという。 ただしこのことを受けて2004年から井戸水の利用を完全に中止し、現在、休暇村大久野島が利用する水は島外から船で運ばれている。環境省が島に上水を送る海底送水管敷設を計画していたが、その敷設地点周辺での調査で海中投棄された毒ガスとみられる兵器が発見されたことにより、見通しがつかないとして工事を中止した。
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