雷一門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 00:38 UTC 版)
初代梅ヶ谷が襲名して以降の雷部屋からは、明治中期~大正時代にかけて多くの力士が誕生し、それらの力士が引退後独立し部屋を興し、「雷一門」と呼ばれる一門を形成していった。しかし大正後期になると本家の雷部屋は衰退した。昭和2年に雷部屋が閉鎖すると、残っていた部屋も相次いで閉鎖し、所属力士たちは鏡山部屋に引き取られていった。その後1945年(昭和20年)に鏡山親方が亡くなり鏡山部屋が閉鎖し、一門は完全に消滅した(前述の番神山が再興した雷部屋は、立浪一門に所属していた)。 一門に属した主な部屋は、以下の部屋である(これらの中には現在も同名の部屋があるが、それとは無関係である。) 雷部屋(初代梅ヶ谷→2代梅ヶ谷。1927年閉鎖し白玉部屋に引き取られる) 八角部屋(大関大鳴門→関脇大鳴門。1933年鏡山部屋に統合) 大嶽部屋(毛谷村。明治後期頃に閉鎖し雷部屋に戻る。玉手山を育てた) 武蔵川部屋(剣山→鴨緑江。1930年に中川部屋の弟子を引き取ったが、その3年後鏡山に統合) 音羽山部屋(梅垣。1897年5月に部屋を興したが、関取を出すことなく没し閉鎖) 中立部屋(司天龍→鶴渡。1919年に荒磯部屋に改称後1927年に閉鎖。鶴ヶ濱らを育てた) 田子ノ浦部屋(鬼ヶ谷。1927年に師匠が亡くなり閉鎖) 中川部屋(鬼鹿毛。1930年に閉鎖し武蔵川部屋に合流。鳴門洋・綾鬼らを育てた) 白玉部屋(玉椿。一般人向けの相撲道場から部屋を興す。本家の弟子を引き取るが、1928年に師匠が亡くなり閉鎖) 鏡山部屋(金木山。一門で残っていた八角・武蔵川の両部屋を統合する形で誕生。1945年に師匠が亡くなり閉鎖、弟子たちは伊勢ヶ濱部屋へ引き取られた) このほかにも高嶋部屋を興した谷ノ音も雷部屋の所属だった。
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