荒磯部屋とは? わかりやすく解説

荒磯部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:49 UTC 版)

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荒磯部屋(あらいそべや)は、かつて日本相撲協会に所属した相撲部屋二所ノ関一門に所属していた。

沿革

1961年に、それまで荒磯部屋を経営していた元横綱照國萬藏が、名跡を伊勢ヶ濱に変更したため、荒磯の名跡は花籠部屋関脇を務めた大豪(後に二子山部屋付き年寄)から小結二子岳武に継承された。二子岳の12代荒磯は、1993年(平成5年)に師匠である10代二子山(初代若乃花)が停年退職したことを機に、同年5月27日、二子山部屋から独立して部屋を創設した。しかし関取を出すことはなく、親方自身の停年を11月に控えた2008年(平成20年)9月場所をもって部屋を閉じた。その当時の所属力士3人のうち2人は引退、残る1人(その後幕内に昇進した荒鷲)は花籠部屋(4年後の2012年に峰崎部屋に合併)に、親方と呼出は松ヶ根部屋(現・放駒部屋)に転属した。この荒磯部屋は、東京都国立市に置かれ、閉鎖時点で多摩地区に所在した唯一の相撲部屋でもあった。

師匠

  • 12代:荒磯武(あらいそ たけし、小結・二子岳青森

脚注


荒磯部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:07 UTC 版)

二所ノ関部屋」の記事における「荒磯部屋」の解説

2019年平成31年1月場所中に現役引退して年寄16荒磯襲名し田子ノ浦部屋付き年寄として活動していた第72横綱稀勢の里が、2021年令和3年8月1日付で力士4人と行司1人連れて田子ノ浦部屋から独立し、荒磯部屋を新設した。部屋新設施設完成が間に合わなかったため、新設当初茨城県つくば市部屋構え隣接する筑波大学を仮の稽古場として利用していた。

※この「荒磯部屋」の解説は、「二所ノ関部屋」の解説の一部です。
「荒磯部屋」を含む「二所ノ関部屋」の記事については、「二所ノ関部屋」の概要を参照ください。

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