10代時代
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1960年(昭和35年)1月場所限りで引退した大関・三根山が、10代熊ヶ谷を襲名して2名の内弟子を連れて高嶋部屋から分家独立して熊ヶ谷部屋を創設した。 1961年(昭和36年)5月に10代高嶋を襲名して、同時に部屋の名称を高嶋部屋と改称した。9代高嶋は部屋の名称を友綱部屋と改称した。 以降、10代高嶋は大関・大受や関脇・高望山といった関取を育て上げた。 しかし、1980年代以降に10代の体調が悪化し、部屋運営を継続することが困難となり、1982年9月場所後に部屋を閉鎖、高望山を含む所属力士2人は熊ヶ谷部屋(幕内・芳野嶺が再興)へ移籍した。
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10代(金剛)時代
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「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事における「10代(金剛)時代」の解説
10代が部屋の師匠に就任して以降は、8代の時代に入門してきた鳳凰が関脇へ、大徹が小結まで昇進したものの、10代の直弟子からは小結・大善しか関取を育てられず、平成時代に入ってからは急速に部屋の勢力が衰えた。 2012年秋に10代が脳梗塞で倒れて入院し、病気療養が長引いて部屋経営が困難となったことを理由として、2013年1月場所後の同年1月28日付で10代と部屋付き親方である19代北陣(元関脇・麒麟児)と13代湊川(元小結・大徹)および行司1人と床山1人の計5人は同じ二所ノ関一門の松ヶ根部屋へ、部屋付き親方である9代富士ヶ根(元小結・大善)は出羽海一門の春日野部屋へ移籍し、同時に所属力士3人は全て引退することが発表されて、正式に二所ノ関部屋は閉鎖された。 その後、松ヶ根部屋の師匠・9代松ヶ根(元大関・若嶋津)が、2014年12月1日に松ヶ根部屋の部屋付き親方である11代二所ノ関(元幕内・玉力道)と名跡交換を行い、12代二所ノ関を襲名すると同時に、同日付で部屋名を二所ノ関部屋に改称する形で再興した。以後は系譜にかかわらず二所ノ関一門の総帥を務める部屋が二所ノ関部屋を名乗る形態となり、12代二所ノ関の定年後は、稀勢の里寛(16代荒磯)と12代が名跡交換を行い、荒磯部屋が(13代)二所ノ関部屋に、(12代)二所ノ関部屋が放駒部屋に改名している。
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