花籠部屋 (1992-2012) 大寿山時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:33 UTC 版)
「花籠部屋」の記事における「花籠部屋 (1992-2012) 大寿山時代」の解説
1991年3月場所に引退して二子山部屋の部屋付き親方となっていた年寄・15代花籠(元関脇・太寿山)が、1992年10月に4名の内弟子を連れて分家独立する形で花籠部屋を再興した。当時の東京都内では地価が高騰していたために用地が確保できなかったため、山梨県初の相撲部屋として北都留郡上野原町(現在の上野原市)に部屋を設立した。しかし、他部屋への出稽古や新規入門者の相撲教習所通学に支障をきたしたため、1996年12月に東京都墨田区に部屋を移転した。ただし、15代花籠は、あくまで移転ではなく東京にも宿舎を建てるという趣旨であったと、移転決定当初には述べていた。これに関連して、上野原町に部屋を構えることに大きな役割を果たした11代の次男は、部屋の移転に猛反対して、東京地方裁判所に年寄名跡の返還を求める民事訴訟を起こしたが、1998年9月、裁判は15代側が勝訴して決着している。 2007年1月場所においてモンゴル出身の光龍が新十両へ昇進し、15代が部屋を継承してからは初となる関取が誕生した。2008年9月場所後には荒磯部屋が師匠の停年(定年)退職のために閉鎖されたため力士らを引き取り、荒磯部屋に所属していた荒鷲が加わった。 2012年5月場所後の24日、部屋の経営難を理由として、同じ二所ノ関一門に所属する峰崎部屋に吸収合併された(同日付で日本相撲協会理事会から正式承認)。
※この「花籠部屋 (1992-2012) 大寿山時代」の解説は、「花籠部屋」の解説の一部です。
「花籠部屋 (1992-2012) 大寿山時代」を含む「花籠部屋」の記事については、「花籠部屋」の概要を参照ください。
- 花籠部屋 大寿山時代のページへのリンク