花籠部屋 (1929-1947) 三杦磯時代
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1929年(昭和4年)3月場所限りで引退した伊勢ノ海部屋所属の元関脇・三杦磯は、年寄・9代花籠を襲名、同時に幕内・開月などの内弟子を連れて伊勢ノ海部屋から分家独立して花籠部屋を両国に創設したが、春秋園事件の余波を受け、苦しい時代を送った。その後、本所・亀沢町、九段へと移転し、1937年(昭和12年)頃に杉並の善福寺へ移ってきた。1943年(昭和18年)に両国へ再移転した。9代は幕内・富ノ山や藤田山などを育てたが、1947年(昭和22年)11月に弟子の藤田山たちを高砂部屋に預けて部屋を閉鎖した。
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