13代時代
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1990年(平成2年)11月場所限りで引退して熊ヶ谷部屋の部屋付き親方となっていた13代高島(元関脇・高望山)が、1993年5月に内弟子の序ノ口力士1名を連れて分家独立し、部屋を再興した。2007年1月場所後には同じ一門の伊勢ヶ濱部屋が閉鎖されたことに伴い、所属行司である式守錦之助を引き取った。 しかし、関取を育てることができず、独立当初から所属力士が少ない状況が続き、最も多い時期でも2002年5月場所から2003年1月場所の9人に留まった。特に閉鎖直前の2009年11月場所(実質的には同年9月場所)から2010年3月場所までは所属力士がモンゴル出身の大天霄1人となっていた。2010年5月場所には新たに入門した男山が初土俵を踏んだものの、同じ場所で大天霄が引退。 男山が同年9月場所に出場したのを最後に部屋を離れたが、即座に引退届が提出されなかったため、2010年11月場所には本場所の取組に出場する弟子がいない状態に陥った。 2011年1月場所には、日本人の新弟子小森が初土俵を踏んだものの、男山が番付外に陥落したため、所属力士全員が番付外(もしくは前相撲)という、部屋創設から間もなかった2004年1月場所の錣山部屋以来の異例の状態に陥った。この状態は2011年1月場所後に男山の引退届が提出され、小森が翌2011年技量審査場所で序ノ口に在位したことにより解消された。 小森も技量審査場所を出場したのみで部屋を離れてしまい、同年6月17日に小森の引退届が提出され、登録上の所属力士が0人となったために高島部屋は閉鎖した。13代高島など所属する行司・呼出・床山(延べ4人)は同じ立浪一門の春日山部屋へ移籍した。但し、引退届提出日が番付編成会議後であった関係上、翌2011年7月場所の番付にも小森の四股名が掲載されていた。
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