慶長度天守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:53 UTC 版)
天守台は白い御影石が用いられ(『慶長見聞集』)、1606年(慶長11年)にまず自然石6間、切石2間の高さ8間の天守台が黒田長政によって築かれた。翌慶長12年に、自然石と切石の間に自然石2間が追加され高さ10間、20間四方となる(『当代記』)。位置は現在の本丸中央西寄にあり、天守台とその北面に接する小天守台、本丸西面の石垣と西側二重櫓をつなぐようにして天守曲輪があった(『慶長江戸絵図』)。ただし当時の本丸は現在の南側3分の2程度であったため、当時の地勢では北西にあることになる。
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