瑞泉寺とは? わかりやすく解説

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ずいせん‐じ【瑞泉寺】

読み方:ずいせんじ

神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺。山号錦屏山。開創嘉暦2年(1327)、開山夢窓疎石開基二階堂道蘊(どううん)。中興開基足利基氏鎌倉公方(くぼう)代々菩提寺


瑞泉寺


瑞泉寺


瑞泉寺


瑞泉寺


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瑞泉寺


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瑞泉寺


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瑞泉寺

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瑞泉寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/22 01:29 UTC 版)

瑞泉寺(ずいせんじ)は、日本各地にある仏教寺院である。




「瑞泉寺」の続きの解説一覧

瑞泉寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:16 UTC 版)

田屋川原の戦い」の記事における「瑞泉寺」の解説

瑞泉寺は明徳元年(1390年)に「遼遠の境」に赴いた本願寺五世綽如現地杉谷慶善の協力得て創建した寺院であり、越中における最古本願寺門流真宗寺院であった。しかし、綽如退去した後の瑞泉寺は半世紀近くわたって無住職の時代続いており、1430年代後半至って6代巧如によって息子の如乗が派遣されてきた。ところが、その如乗も瑞泉寺の地が「不弁」であることを理由立ち退き加越国境地帯移って二俣本泉寺創始者となった。如乗は娘の如秀に蓮如次男蓮乗を偶し、蓮乗二俣坊と瑞泉寺を兼ねる往寺となった。しかし、蓮乗病弱であったため、実際に教団差配していたのは如乗の妻で、蓮乗義母に当たる勝如であった伝えられるこのように、瑞泉寺は緯如による開基後長らく正式な住職がいない時代続き8代蓮如時代至って住職派遣されてきたものの、その多く加越国境地帯本泉寺本拠地を置き瑞泉寺とは距離を置いていた。 一方住職のいない瑞泉寺では現地の者が寺を運営していたようであり、文明2年(1470年)に蓮如訪れた時瑞泉寺の留守をしていたのは瑞泉寺の開基携わった杉谷慶善の娘如連であった。この如は「時宗の徒」であったとされており、純粋な浄土真宗門徒ではなかった。また、綽如随従してきた下間慶乗は「竹部」を名垂って現地定住したとされるが、この末裔こそが田屋川原の戦い活躍した竹部豊前」であるとみられ、この「竹部家」も瑞泉寺を運営する地元有力者であった考えられる草野顕之は、この頃の瑞泉寺では杉谷家や竹部のような外護者や植越が運営主体となっており、このような勢力が強い発言権有していたからこそ、如乗らは瑞泉寺を「不弁」であるとして距離を置いていたのではないか推測している。これを裏付けるように、欽の瑞泉寺における立場は「契約による留守分」、その子賢心は「契約持分」と記録されており、後代に至るまで杉谷家や竹部家といった現地勢力本願寺本流をしのぐ権勢得ていたことが窺える後述するように土山御坊本泉寺といった本願寺直系寺院は「田屋川原の戦い」に積極的に関与した形跡一向一揆主導したのは現地勢力であって本願寺本流はむしろ一揆消極であったというのは、蓮如文明6(1474)年の加賀一揆対す態度からも裏付けられる。蓮如文明5年11月の捉十一カ条において「念仏者において、国の守護・地頭専らにすべし」と述べて在地勢力尊重したが、 このような蓮如態度にも関わらず翌年加賀一向一揆起こり、 更にその翌年蓮如は十カ条旋で改め守護・地頭への協調指示している。 すなわち、蓮如守護勢力対す反抗批判否定しつつ、 一方でこのような門徒衆を破門できないというジレンマ有しており、 このような連如の立場そのまま如乗の瑞泉寺に対す態度共通している、と考えられる

※この「瑞泉寺」の解説は、「田屋川原の戦い」の解説の一部です。
「瑞泉寺」を含む「田屋川原の戦い」の記事については、「田屋川原の戦い」の概要を参照ください。

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