弥生・古墳時代とは? わかりやすく解説

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弥生・古墳時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:18 UTC 版)

掘立柱建物」の記事における「弥生・古墳時代」の解説

拠点集落中心的な建物用いる点では縄文時代と同様である。一般集落住居としての主流依然竪穴住居であり、これは古代末の11世紀まで続く。 弥生時代は、魏志倭人伝記録を待つまでもなく、堀(防御施設)でムラ全体を囲む環濠集落祭祀建築祭殿)の大型化もたらしたことや当時一種山城である高地性集落などの遺構、あるいは遺物など考古資料の面でも戦争の多い時代だったことが知られる稲作農耕本格的な進展水利権余剰農産物をめぐる争い招いたものと思われるが、そうした時代状況反映して、この時期掘立柱建物には軍事的性格帯び建物倉庫使用なされた建物高床倉庫高床住居など)が増加したものとみられる著名なものとしては、奈良県田原本町唐古・鍵遺跡出土土器描かれ多層式の楼閣がある。これは偶然絵に描かれていたからこそ同様の建物存在しただろうという推定が可能となるが、通常発掘調査における遺構検出からは上屋構造までは推定できない佐賀県神埼郡吉野ヶ里遺跡掘立柱建物跡もその立地などから考慮して物見櫓であることが確実視され、今日では遺跡公園内復元されている。 古墳時代に入ると、クニとしてのまとまり豪族相互序列できあがってきて、戦争激減し集落における軍事的要素薄まるが、一方で建物豪族威容を示すものとして積極的に利用されたことはむしろ増加した考えられるいわゆる豪族居館よばれる遺構がそれであり、群馬県高崎市三ツ寺Ⅰ遺跡北谷遺跡調査例などが知られる。ここでは居住空間私的空間)と祭祀の場もしくは首長による政治の場(公的空間)とがきちんと区画されていたことが確認されており、また、3km離れた遺跡規模・形状ともにまるで同じ設計図をもとに構築されかのように酷似していることは特に注目に値する。なお、埼玉古墳群埼玉県行田市)などから発見され家形埴輪には鰹木かつおぎ)を乗せた入母屋造の家、寄棟造の家、円柱表現高床倉庫などがあり、上屋構造推定するうえで大きな手がかりとなっている。

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弥生・古墳時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:00 UTC 版)

奄美群島の歴史」の記事における「弥生・古墳時代」の解説

4 - 5世紀には地元産のスセン當式土器沖永良部島)が、6世紀には兼久土器奄美大島)が出現した同時に金属製品出土しているため、鉄器製造開始この年代の可能性指摘されている。 この時代沖縄先島並んで奄美群島島々ゴホウライモガイ貝殻交易品とし、本土側土器弥生土器か)と交換していた(「貝の道」の交易)。九州では貝殻装身具として使用していた。弥生時代前期(約2300年前)の鹿児島高橋貝塚南さつま市阿多郷)からは貝輪加工品出土しており、貝の道の交易一端担った考えられている。

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