弥生前方後方形墳丘墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:22 UTC 版)
愛知県一宮市の西上免遺跡で発見された前方後方形墳丘墓は墳丘長約40メートルもある。 前方後方形墳丘墓から前方後方墳への成立に濃尾平野が重要な役割を果たしたと考えられている。3世紀前半の弥生時代終末期頃、東海地方では方形墓の周壕が一周するものや方形の一辺に突出状の祭壇を設ける墓が流行した。そしてやがてその際壇部や陸橋部が発展し前方後方形が出現する。その例としては愛知県の廻間SZ01墳丘墓があげられ、祖形と考えられる。この墳形は西は京都府から東は千葉県までひろがった。つまり前方後方墳は伊勢湾沿岸で誕生し各地にもたらされたと考えられる。
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