せいイシュトバーン‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【聖イシュトバーン大聖堂】
読み方:せいいしゅとばーんだいせいどう
《Szent István-bazilika》
ハンガリーの首都ブダペストにあるカトリック教会の大聖堂。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、ギリシャ十字式の平面構成をもつ新古典様式で建造された。ドームは直径22メートル、高さ96メートルあり、ブダペストで最も高い建造物の一つ。初代ハンガリー王イシュトバーン1世の聖遺物を納める。
ハンガリー中西部の都市セーケシュフェヘールバールにある大聖堂。15世紀の創建。オスマン帝国の攻撃により破壊されたが、18世紀にバロック様式で再建された。初代ハンガリー王イシュトバーン1世の頭骨を納める。隣接する聖アンナ礼拝堂は中世に建てられた市内唯一の建造物として知られる。
聖イシュトヴァーン大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 07:53 UTC 版)
座標: 北緯47度30分03秒 東経19度03分14秒 / 北緯47.500833度 東経19.053889度
聖イシュトヴァーン大聖堂(せいイシュトヴァーンだいせいどう、ハンガリー語: Szent István-bazilika)は、ハンガリーの首都ブダペストにあるカトリック教会のバシリカ[1]である。
聖遺物箱に収められている右手のミイラの主、ハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世にちなんで名づけられた。
概要
ハンガリー国会議事堂と並んで、ブダペストで最も高い建造物である。建物高96m、幅55m、奥行87.4m。 1851年に着工し、54年後の1905年に完成した。この遅滞の大半は、完成したにもかかわらず手がつけられないほど崩壊し、一から作り直すことになった1868年のドーム倒壊が起因している。
建築は、はじめヒルド・ヨージェフ、その死後はイブル・ミクローシュ、更にその後、カウゼル・ヨージェフが手がけた[2]。
建築様式は新古典主義様式であり、平面図はギリシャ十字を模している。正面には2つの大きな鐘楼がある。南の鐘楼にある鐘は重量9トン以上あり、ハンガリーで最も大きな鐘である。現在の物は2代目であり、初代の物はほぼ8トン近くあったが、第二次世界大戦の際鋳潰されて軍用に使われた。
観光客は、エレベーターまたは364段ある階段でドームに昇ることができ、ブダペスト街を360度見渡すことができる。
聖なる右手
1083年に列聖されたイシュトヴァーン1世の右手のミイラが、聖遺物として保管されている[3]。遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、1771年マリア・テレジアによってブダに戻されたものである。
ギャラリー
脚注
- ^ ここでの「バシリカ」は建築の種別としてではなく、カトリック教会において「バシリカ」としての特権を付与された聖堂である事を示す語義である。
- ^ 沼野 1996, p. 123.
- ^ 『ウィーン プラハ・ブダペスト 2016 まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、105頁。ISBN 978-4-398-28119-7。
参考文献
- 伊東孝之、萩原直、柴宜弘ほか著 『東欧を知る事典』、平凡社、ISBN 4582126308
- 沼野充義監修 『中欧 ポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー』新潮社〈世界の歴史と文化〉、1996年2月20日。 ISBN 4-10-601843-8。
外部リンク
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