「戴冠の都」パッタダカル
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「パッタダカル」の記事における「「戴冠の都」パッタダカル」の解説
チャールキヤ朝の首都はバーダーミ(英語版)(旧名は、ヴァーダーピVādāpī )であったが、王族は「戴冠の都」としてパッタダカルを愛し、6世紀から8世紀にかけてはチャールキヤ朝第2ないし第3の都市として繁栄した。当初は宗教的に重要な地ではない単なる村落であったが、チャールキヤ朝の王室がこの地に他よりも寺院建立をさかんに行うようになった。 奇跡的に破壊を免れたパッタダカルの遺跡群は「寺院都市」の典型を示し、また、南インド様式と北インド様式の寺院が混在することでも知られている。寺院のシカラ(塔)について、南インド型と北インド型の2つの基本的な型が一つの地にみられるのは、パッタダカル以外ではバーダーミ近郊のマハークティのみであり、きわめて特徴的である。 パッタダカルの寺院群は、1987年、「パッタダカルの建造物群」として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産の文化遺産に登録された。
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