「戦闘」か「虐殺」か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:22 UTC 版)
「ウォシタ川の戦い」の記事における「「戦闘」か「虐殺」か」の解説
カスターは頑としてウォシタ川を虐殺とは考えなかった。「ある女性は武器を取ったのでその後に殺された」とも言っている。カスターは女性と子供の捕虜を連れてウォシタ川を離れた。彼は野営にいた全てのインディアンを単純に殺したのではなく、激しい戦闘のなかで女性を何人か殺さざるを得なかったと言っている。そしてカスターは当初の報告書では、女子供の死者数は一切報告していないのである。 歴史家のジェローム・グリーンは2004年の著書の中で国立公園局の項目のために、「兵士たちは明らかに、女性と子供たちを保護するための処置をとった。」と結んでいる。 歴史家のポール・ハットンは、「ウォシタ川の戦闘は確かに一方的なものだったが、虐殺ではなかった。ブラック・ケトルたちのシャイアン族バンドは戦争状態ではないという考えのもとに暮らす武装していない無害の者達だった。ブラック・ケトルの戦士達数人は最近米軍と戦ったばかりであり、その酋長はシェリダン将軍に降伏するまで和平状態ではないとヘイズンから知らされていた。アメリカ軍はあらゆる者を殺すよう命令されてはおらず、カスター自らは非戦闘員の殺戮を止め、53名の者が捕虜に取られたと述べている。 歴史家のジョセフ・B・ソバーンはブラック・ケトルの野営破壊があまりに一方的だったので、戦闘とは呼べないと考えている。白人入植地を襲ったインディアンの優秀な部隊にはブラック・ケトル・バンド以外の者が居なかったとしても、その結果に見られるようにこの出来事は疑いもなく「虐殺」であると結論した。 さらに注目すべきは、武装しおそらくは敵対意識のある野営地にむけたカスターの直接正面攻撃において、野営の中での戦闘中に第7騎兵隊で戦死した者は大隊長のルイス・ハミルトン大尉ただ一人だったという事実である。戦死者の他の者達はジョエル・エリオット少佐の分遣隊に属した者達であり、野営での戦闘からは1マイル (1.6 km) 以上離れた場所で他のインディアンの救援隊によって殺された。A中隊とD中隊は総勢120名の士卒であり、襲撃で4名が負傷しただけだった。C中隊とK中隊も総勢120名の士卒であり、損失は全くなかった。
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