古代インド・イランのミスラ信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 20:02 UTC 版)
「ミトラ教」の記事における「古代インド・イランのミスラ信仰」の解説
元々、ミトラス神は、古代インド・イランのアーリア人が共通の地域に住んでいた時代までさかのぼる古い神ミスラ(ミトラ)であり、イラン、インドの両地域において重要な神であった。特に『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤ神群の一柱であり、魔術的なヴァルナ神と対をなす、契約・約束の神だった。アーリア人におけるこの神の重要性をよく示しているのがヒッタイトとミタンニとの間で交わされた条約文であり、そこにはヴァルナ、インドラ、アシュヴィン双神といった神々とともにミスラの名前が挙げられている。 その後、インドにおいてはミスラの重要性は低下したが、イランでは高い人気を誇り、重要な役割を持ち、多数の神々のなかでも特殊な位置付けであった。ゾロアスターは宗教観の違いからアフラ・マズダーのみを崇拝すべきと考えてミスラをはじめとする多くの神々を排斥したが、後にゾロアスター教の中級神ヤザタとして取り入れられ、低く位置づけられはしたが、『アヴェスター』に讃歌(ヤシュト(英語版))を有した。ゾロアスター教が浸透していたアケメネス朝ペルシアでは、それまでアフラ・マズダーの信仰だけが認められていたが、紀元前5世紀頃のアルタクセルクセス2世はミスラを信仰することを公に許可した。さらにゾロアスター教がサーサーン朝ペルシア(226年-651年)の国教となると英雄神、太陽神として広く信仰された。
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