京都・大阪連続強盗殺人事件とは? わかりやすく解説

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京都・大阪連続強盗殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 17:14 UTC 版)

京都・大阪連続強盗殺人事件[3][10][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20](きょうと・おおさかれんぞくごうとうさつじんじけん)は、1984年昭和59年)9月4日京都府京都市北区大阪府大阪市都島区で発生した2件の連続強盗殺人事件[6][21]


注釈

  1. ^ a b c d 西陣警察署十二坊警察官派出所は、2022年時点では北警察署十二坊交番(所在地:京都市北区紫野十二坊町33-4)となっている[4]
  2. ^ a b c d 廣田が京都事件で凶器として用いた包丁(刃体の長さ約16.9 cm)は[1]、細身で堅刃の柳刃包丁[5]
  3. ^ a b c d e 澤地和夫は1980年1月、21年あまり勤務した警視庁を退職し、新宿に大衆割烹店を開店したが、経営が悪化し、1983年8月には1億5,000万円の負債を抱えて閉店に追い込まれ、一攫千金を狙って強盗殺人を計画した[45]。1984年10月11日、澤地は自分と同じく借金に苦しんでいた仲間の男2人(猪熊武夫・Pの両名。それぞれ死刑と無期懲役が確定)と共謀し、東京都北区の宝石商男性(当時36歳)を山梨県南都留郡山中湖村の別荘に誘い出して絞殺、現金や指輪など6,000万円相当を奪い、死体を床下に埋めた[45]。次いで同月25日、猪熊と共謀して埼玉県上尾市の女性金融業者(当時61歳)を土地をめぐる融資話で誘い出し、浦和市(現:さいたま市浦和区)内を走行中の車内で絞殺、現金2,000万円や指輪、預金通帳などを奪い、死体を別荘床下に埋めた[45]。1987年10月30日、東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)は澤地・猪熊を死刑、Pを無期懲役とする判決を言い渡し[45]東京高裁第9刑事部(内藤丈夫裁判長)も1989年3月31日に3被告人の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[46]。その後澤地・猪熊の両被告人は最高裁に上告していたが、1993年3月に死刑執行が3年4か月ぶりに再開されると、澤地はそれに対する抗議の意図で[47]、最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)に対し上告取下書を提出[48]。同年7月7日付で上告取下書が送付・受理され、死刑が確定した[49]。しかし死刑は執行されず、再審請求中の2008年12月16日に東京拘置所で病死している(69歳没)[50]。なお、共犯の猪熊は1995年(平成7年)7月3日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却の判決を受け[51]、判決訂正申立も同月24日付の決定で棄却されたため[52]、同月25日付で死刑が確定している[53][54]。Pも7月3日付で第二小法廷から上告棄却の決定を受け[55]、同決定に対する異議申立も同月12日付の決定で棄却されたため[56]、無期懲役が確定している[57]
  4. ^ 雅晴の父親は1968年に死去している[30]
  5. ^ a b c d 本事件当時、成東町の実家には雅晴の母親と、弟夫婦が住んでいた[71]
  6. ^ 5人兄弟姉妹のうち、高校まで進学したのは雅晴だけだった[72]
  7. ^ 当時はオリンピック景気で警察官の希望者が少なく、京都府警は同郷の知人へのはがき作戦など、優秀な人材の確保に躍起になっていた[70]
  8. ^ 廣田の子供3人はいずれも男の子(1978年の事件時点でそれぞれ11歳、7歳、4歳)[74]。1984年12月時点では長男が17歳、次男が14歳、三男が11歳だった[75]
  9. ^ 西陣署では通常、派出所勤務の警官が当直明けや非番の日には、いったん拳銃を本署に預けて帰宅する規定になっているが、拳銃は幹部立ち会いのもとに保管庫に入れ、幹部がさらに確認することになっていた[84]
  10. ^ 廣田に拳銃を盗まれた巡査は、廣田とは別の金閣寺派出所に勤務していたが、16日夕方に拳銃を本署に預けて帰宅し、拳銃を盗まれた17日は非番、18日は公休で、19日の点検の際に初めて自分の拳銃がなくなっていることに気づいた[84]
  11. ^ 近畿相互銀行は、後の近畿大阪銀行(現:関西みらい銀行)。
  12. ^ 現場となった札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)は当時、竹田街道の十条上ル約150 mに位置していた[90]
  13. ^ 拳銃が発見された場所は、六孫王神社の手水舎で、昼は近所の子供たちや散歩の人たちで賑わう場所だった[92]
  14. ^ 廣田の説明は、まず21日18時ごろ、自宅に男の声で「東寺で会って返す」という電話がかかり、次いで22日14時40分ごろになって「六孫王神社に隠しておく」という電話がかかってきたというもので、前者の「電話」を受けた際には署長に連絡していたが、結局「男」は姿を見せなかった。しかし、2度目の電話は拳銃の置き場所を変更する重要な電話にも拘らず、それを署長に連絡しないまま1人で現場に行ったことや、拳銃に素手で触れたり、実弾を抜き取るなど、「警察官としての初歩的な常識に欠ける行動」を取っていたため、廣田はそれらの不審点を追及された[93]
  15. ^ 廣田は「自宅に『犯人』から電話がかかってきた」として東寺境内に行き、「犯人」との接触が不成功に終わったにも拘らず、西陣署の幹部に対し「今日は犯人が現れなかったが、そのうち見つかりますよ」などと電話していたり、盗まれた拳銃を所持していた同僚の巡査に対し「君はこの事件のことで退職を考える必要はない」と話したりなど、拳銃発見の目処が立たない時期に不審な言動を取っていた[94]
  16. ^ 1978年に懲戒処分を受けた警察官の人数は272人(うち、免職者数は26人)で、どちらの人数も1979年(昭和54年) - 1983年(昭和58年)の人数を大きく上回っていた[100]
  17. ^ 京都地裁 (1980) は、拳銃窃盗が廣田の思惑とは異なり、警察の内部処理では済まず、予想外の社会的大騒ぎになったことや、郵便局強盗事件では被害者に騒がれ、簡単に諦めるなどした点から「衝動的な犯行」と認定した[83]
  18. ^ 廣田が購入したボウガン(ボウガン・モデル1300)は、最大有効射程距離25 mで、近距離なら瞬発力が強く、フライパンを貫通する威力があった[122]
  19. ^ 冒頭陳述で、検察官は廣田がボウガンを凶器として用いることを断念した理由について「試射がうまく行かなかったため」と述べている[75]
  20. ^ 廣田からの電話に応対した巡査部長は、同僚の巡査と2人で亀山公園まで出向いたが、バイクを見つけることは出来ず、派出所へ戻った[125]
  21. ^ 西陣署では、通常の派出所勤務では正午から13時まで休憩時間となっており、この時間帯にパトロールに出掛けることはほとんどなかった[131]。通常の巡回連絡の場合は、連絡簿などの書類を携帯して出掛けることが普通だったが、Aは事件当時、それらの書類を派出所に残していた[6]
  22. ^ 廣田と思しき男を目撃したタクシー運転手2人はいずれも、無線基地からの指示に基づいて目撃後、直ちに基地に通報した上、警察署に出頭している[141]
  23. ^ 「あんどれー」の従業員である女性は、廣田が来店した時間について「15時10分ごろ以降」と証言している[146]
  24. ^ 同店は、大阪事件現場の「永井ビル」から約56 mほどしか離れていなかった[146]。主に若い女性向けの店で、廣田のような中年男性が来客することはほとんどなかった[147]
  25. ^ この男は借金を申し出たが、身分証明書の提示を求められ、立ち去った[6]
  26. ^ 捜査段階では最終列車1本前の「ひかり530号」(京都駅20時37分発、東京駅23時42分着)に乗車したと見られていたが[160]、検察官の冒頭陳述によれば、乗車した列車は20時29分発である[161]
  27. ^ 警視庁は5日2時、警備中の各方面本部長に「廣田警戒」を連絡している[29]
  28. ^ また、大阪府内ではこの2件とは別に、9月6日 - 14日にかけて相次いで3件の殺人事件が発生・発覚していたため、府警はそれらの事件の捜査にも追われていた[167]
  29. ^ 消印は同月23日[169]
  30. ^ 『読売新聞』 (1984) では「7時25分ごろ」となっている[139]
  31. ^ 現:千葉市中央区都町。
  32. ^ 4人とも、当時は作業服を着用していた[180]
  33. ^ 当時の東京駅発東海道新幹線の最終列車。
  34. ^ ヘタを売る」とは、京都の極道筋の間で「面子を潰す」という意味合いで使われる言葉である[119]
  35. ^ 準抗告を行った理由は、「廣田は犯行を全面否認しており、犯行立証のために目撃者らに顔を確認してもらう必要があるが、拘置所にはその設備がない」「拘置所では時間の制約(起床時間が7時20分、就寝時間が21時)があり、十分な取り調べができない」「弁護人以外の接見を認めると、証拠隠滅などを図る虞がある」などだが、京都地裁は「被害者は現職警官であり、廣田は犯行を否認し、警察に強い反感を持っていることを考慮すれば、京都拘置所を拘置場所に指定した原判断は正当で、拘置所での面通しや実況見分が不可能とは認め難い。共犯者や組織を背景にした犯行とも認めがたく、廣田と共謀・同調して証拠隠滅を図る者がいるとも想定しにくい」との理由から、準抗告を棄却した[187]。目撃者たちに対する面通しは、京都地検で行われている[163]
  36. ^ バッグは発見時点でチャックが全開になっており、中には何も入っていなかった[156]
  37. ^ 廣田が「一緒に船岡山に行った」と自供した刑務所仲間3人のうち、1人は既に死亡しており、もう1人は服役中だったほか、残る1人もアリバイがあった[189]
  38. ^ この供述を受け、警視庁や京都府警などは、廣田のカバンが発見された地点から約6 km上流の江戸川に架かる市川橋国道14号)や総武線・京成本線の両鉄橋などの付近を捜索した[198]
  39. ^ 被告人質問が開始されるより前[40]
  40. ^ a b 京都府警では国家公安委員会規則に基づき、各警察官に貸与される拳銃については試射を行った上で、試射弾丸と試射薬莢を銃番号によって登録・保管する扱いになっている[229](参照[230])。
  41. ^ 「12時50分ごろ、以前のノミ行為の客に対する未回収金を取り立てるため、Xと2人で金閣寺小学校近辺にいた」[1]「13時ごろ、映画館に行った」と主張した[212]
  42. ^ 検察官は、死刑を選択する量刑事情を「強盗殺人の被害者が2人の事例を原則とする」と明言した[219]
  43. ^ この3人の目撃証言は、いずれも大阪事件直後(同日夜)から翌5日午前にかけて都島署で得られたが、3人ともまだ廣田に関する新聞報道やテレビニュースが出る前に証言を行っており、また互いに別々の部屋で聴取を受けていたため、3人で男の特徴などについて口裏合わせを行う機会はなかった[151]
  44. ^ 京都・千葉間の新幹線など利用料金(1往復半)で約3万5,000円、ボウガンの購入で約8万円を、また特殊浴場で2万円、ピンクサロンで10万円、着替え用衣服などで5万円を遣ったほか、宿泊代・食事代・タクシー代などで相当額を費消した[156]
  45. ^ 1999年(平成11年)11月25日、最高裁第二小法廷が再審請求事件についてした即時抗告棄却決定に対する特別抗告を棄却する決定[事件番号:平成11年(し)第182号]を出した[268]。2000年(平成12年)12月5日にも、第二小法廷が特別抗告棄却の決定[平成12年(し)第267号]を出している[269]
  46. ^ 福島は国政調査権を使い[270]、2008年7月に死刑確定者たちへアンケート用紙を郵送し(最終締切は同年8月末)[271]、郵送相手105人のうち78人から回答を得ている[270]
  47. ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[274]
  48. ^ a b 久間は冤罪を主張していたが[277]森英介法務大臣が発した死刑執行命令により、2008年(平成20年)10月28日に収監先の福岡拘置所で死刑を執行されている[278]
  49. ^ 大阪拘置所や大阪法務局が廣田の原稿の写しを作成したのは、2013年の訴訟における控訴理由書を作成するためだった[291]
  50. ^ 小林から取材を受けた警視庁OBは、1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)ごろは60年安保の後遺症から、若者の間で警察が不人気だった頃に高度経済成長も重なり、高卒者の求人が殺到していたことや、70年安保に向けて警察官の増員が求められていたことから、採用に当たっては質より人数が優先されたという可能性を指摘している[301]
  51. ^ 中国管区警察局長の鈴木達也は、大都市圏(首都圏や関西圏など)は警察官の需要の高さに反してなり手が少なく、地方出身者を多数採用する傾向にある一方、警察官の間では都会志向はあまり強くないため、優秀な地方出身者の多くは地元に残り、それより劣る者が大都市圏で警察官として就職し、「田舎者」としてのコンプレックス由来のストレスを抱えたり、周囲に知人がいないことで誘惑に弱くなったりすることで不祥事を起こす、という旨を指摘し、「地方出身者の指導は特に配慮が必要」と指摘している[302]
  52. ^ 刑事に不祥事を起こした者が少ない理由について、元近畿管区警察学校講師の板谷多一は「刑事は世間の裏表を知り尽くしており、上からの締め付けも厳しいため、人間的にできていないと務まらない。また、自分が逮捕して刑務所に送った者の家族がどれほどつらい目に遭っているかも知っているからだ」という旨を指摘している[303]

出典

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    • 主文
      1. 被告は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年9月25日から支払い済まで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
      3. 訴訟費用は、これを300分し、その299を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
    • 裁判官:清水知恵子(裁判長)・進藤壮一郎・池田美樹子
    • 訴訟代理人弁護士:大野鉄平・赤羽悠一・若林亮
    • 被告:国(代表者:法務大臣)
  55. ^ 「刑事決定(1) > 事件番号:平成元年(あ)第654号 事件名:強盗殺人、死体遺棄 被告人氏名:P 裁判月日:(平成7年)7月3日 法廷:第二小法廷 結果:棄却 原審:東京高裁 謄本綴丁数:1」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成7年7月分』、最高裁判所事務総局、1995年7月、3頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第266号(平成7年7 - 12月分)の巻末付録。
  56. ^ 「刑事雑(全) > 決定に対する異議申立 > 事件番号:平成7年(す)第117号 事件名:強盗殺人、死体遺棄 申立人又は被告人氏名:P 裁判月日:(平成7年)7月12日 法廷:第二小法廷 結果:棄却 謄本綴丁数:224」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成7年7月分』、最高裁判所事務総局、1995年7月、18頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第266号(平成7年7 - 12月分)の巻末付録。
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  92. ^ 『京都新聞』1978年7月23日朝刊第16版第一社会面19頁「西陣署のけん銃盗難事件 “身内”調べ 苦悩の府警 力なく「目下捜査中」 幹部会見 深々とおわび」「六孫王神社 けん銃「あれば、わかるはず」 昼は子の遊び場」(京都新聞社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号759頁。
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