結婚・晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:55 UTC 版)
1962年、物置小屋を来訪してきた女性たちのうちの一人の30歳年下の女性と結婚して、小田原市中里の旅館つるやの別棟に間借りする。1967年、軽い脳出血で倒れ、右半身不随となる。1969年に中山義秀が逝去する。1971年、原稿依頼が途絶えかけて、貯金を取り崩して生活していたところ、文芸誌『海』の編集長の訪問を受け、執筆を求められる。これをきっかけにして小説の雑誌掲載が増えて、1972年の『忍び草』以降、出版も盛んになる。後期の執筆は、自身の老境や、弟・甥などの家族のことを綴ると同時に、回想録も多くなり、中山義秀と宇野浩二(「忍び草」)、徳田秋声(「徳田秋声の周囲」)、牧野信一(「冬」)、尾崎一雄(「尾崎一雄 小説的人物論」)などの思い出を綴っている。 1977年に第25回菊池寛賞を受賞する。1980年には河出書房新社から『川崎長太郎自選全集』(5巻)が刊行されて翌年の第31回芸術選奨文部大臣賞を受賞する。1983年、脳梗塞で倒れ小田原市立病院に入院し以後闘病生活をおくる。1985年肺炎のため小田原市立病院で死去する。
※この「結婚・晩年」の解説は、「川崎長太郎」の解説の一部です。
「結婚・晩年」を含む「川崎長太郎」の記事については、「川崎長太郎」の概要を参照ください。
- 結婚・晩年のページへのリンク