お馬のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 06:39 UTC 版)
お馬は安田村の旅館に奉公していたが、追ってきた純信とのことが原因で須崎へ追われ、庄屋預りの身になる。その後、あまたの求婚者の中で、庄屋の目にかなった9歳年上の大工の寺崎米之助と結婚。二男二女に恵まれた。お馬が20歳の時に生まれた長男の徳太郎が陸軍御用大工になったことを機に一家で上京し、滝野川に移り住んだ。次男は役場に勤め、長女はお寺の人と結婚。晩年は普通の一般人と同じような暮らしぶりであった。そして、明治36年(1903年)12月15日に66歳で死去した。墓は、西福寺にある。 慶全はその後柏島に戻り、内妻と暮らしたが、子はなさなかった。そして、明治14年(1881年)50歳で死去。墓は、護念寺の寺内に一人墓としてある。
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