結婚式・披露宴と同時に断髪式を行った例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:18 UTC 版)
「断髪式」の記事における「結婚式・披露宴と同時に断髪式を行った例」の解説
2000年1月場所限りで引退した元十両・嵐立磨は引退直後に結婚式を挙げ、その場で断髪式を行った。 昭和以降の最高齢力士だった高砂部屋の一ノ矢充(最高位・三段目6枚目)は46歳11ヶ月で迎えた2007年11月場所限りで引退し、翌2008年2月2日に自身の結婚式のプログラムの一環として断髪式を行った。結婚式の前半では大銀杏姿を披露し、式典の途中に組み入れられた断髪式では新婦(当時40歳の雑誌編集者)も鋏を入れた。 2011年の大相撲八百長問題で引退勧告を受け、引退した元小結・白馬毅は2008年10月に時天空慶晃の実妹と結婚、2009年3月には長女が誕生していた。その後、幕内定着・三役昇進を遂げて結婚披露の時機を見計らっていた矢先に処分を受けたため、処分から間もない2011年6月18日に断髪式と結婚披露宴を同時に行う運びとなった。 2012年5月場所で、幕内在位経験者として初めて序ノ口まで陥落し、同場所を全休して場所後に引退した琉鵬正吉(最高位・前頭16枚目)は、同年9月15日に同郷の女性と結婚し、同月30日に東京都内のホテルで結婚披露宴を兼ねる形式で断髪式を行い、当時の大関・鶴竜力三郎を含む約200名の披露宴出席者も鋏を入れた。 2014年1月場所限りで引退し、直後に同い年の女性と結婚した元十両・琴国晃将は、同年4月27日にホテルイースト21東京にて断髪式と結婚披露宴を同日に行ったが上述の3力士と異なり、式典の一環に断髪式を組み込む形ではなく、同一の会場で前半に断髪式・後半に結婚披露宴と、それぞれ分離する形式で行われた。 2016年1月場所限りで引退し、年寄・安治川を襲名した元前頭筆頭・土佐豊祐哉は引退直後にマジシャン・小泉エリとの婚約を発表し、同年3月に入籍した。借株であった関係上、引退相撲を伴う断髪式は行わず、当初から断髪式と結婚式を同日に行う計画がなされていた。上述の琴国と同様に、同一の会場で前半の断髪式と後半の結婚式を分離する形式で、2016年10月2日に行われた。
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