雑誌編集者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 20:09 UTC 版)
「ヒューゴー・ガーンズバック」の記事における「雑誌編集者」の解説
初期のテリムコ・ユーザーは自己の送信機と受信機で到達距離を試していたに過ぎなかったが、1907年頃より趣味・娯楽として相互交信を楽しむ「アマチュア無線」が子供たちにより形成されていった。通信販売事業においては、いかに魅力的な商品カタログを仕上げるかが重要である。また販売部品の使用方法や技術解説などを丁寧にドキュメント化する必要もある。ガーンズバックはこれらの作業を通じて、無線通信や無線実験を専門とする月刊雑誌を編集・出版することを思い立ったのである。 1907年頃のアメリカにはいくつもの科学雑誌や電気雑誌はあったが、無線専門誌はまだなかった。1908年4月、一般大衆に無線界の最新ニュースを提供すると同時に、無線知識の啓蒙を目的とする、世界初の無線専門雑誌『モダン・エレクトリックス』(1908年 - 1914年)を創刊した。この雑誌の表紙にはこれはカタログであると書かれているが、記事、特集、プロットラインが含まれており、ほとんどの歴史家は、雑誌としての資格が与えられると述べている。ガーンズバックの狙いは的中し、学生を中心に無線実験が全米に広まった。 その後もガーンズバックは、『エレクトリカル・エクスペリメンター』(The Electrical Experimenter, 1913年 - 1920年)、『ラジオ・アマチュア・ニュース』(Radio Amateur News → Radio News → Radio & Television News, 1919年 - 1959年)、『サイエンス・アンド・インヴェンション』(Science and Invention, 1920年 - 1931年)といった無線雑誌を次々に創刊した。
※この「雑誌編集者」の解説は、「ヒューゴー・ガーンズバック」の解説の一部です。
「雑誌編集者」を含む「ヒューゴー・ガーンズバック」の記事については、「ヒューゴー・ガーンズバック」の概要を参照ください。
- 雑誌編集者のページへのリンク