雑誌編集と大河ドラマの時代
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「川部修詩」の記事における「雑誌編集と大河ドラマの時代」の解説
1970年(昭和45年)に入ると、『特別機動捜査隊』や『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』といったテレビ映画へのゲスト出演をしていたが、同年、出版社サンデーアートに入社、航空貨物専門誌『ワールド・エアー・カーゴ』の編集者になる。しばらく俳優業を控えていたが、1973年(昭和48年)5月12日に公開された『さえてるやつら』(監督吉松安弘、配給東宝)に出演、3年ぶりに俳優業に復帰、以降、ふたたび『特別機動捜査隊』を中心に俳優業も兼業した。1977年(昭和52年)に放送された大河ドラマ『花神』(原作司馬遼太郎)に「鷹司政通」役に起用され、以降、『おんな太閤記』(1981年)では「増田長盛」役、『徳川家康』(1983年)では堺の豪商「今井宗久」役をはじめ、NHKの大河ドラマに出演することになる。1978年(昭和53年)には、田宮二郎の遺作になるテレビドラマ『白い巨塔』に「浪速大学医学部付属病院長」の「則内教授」役でセミレギュラー出演した。 1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集・男優編』によれば、同年当時は『ワールド・エアー・カーゴ』編集長である。1981年(昭和56年)には、日本映画ペンクラブ会員になり、映画評論家としての活動を強化した。1983年(昭和58年)8月には、最初の著書として中川信夫の研究所『B級巨匠論 中川信夫研究』を上梓する。同書については、瀬川昌治もその著書『乾杯!ごきげん映画人生』でたびたび引用し、高く評価している。 1980年代後半に始まる、フジテレビジョンのいわゆる「トレンディドラマ」、いわゆる「月9」にも、ゲストであるが多く顔を出すようになる。1970年代から、世田谷区桜新町に居を構えていた。川部が編集長を務めた『ワールド・エアー・カーゴ』は1991年(平成3年)9月に発行した通巻294号を最後に廃刊したが、当時まで川部が編集を行っていたかどうかはわからない。同年1月に発行された『100万人の映画ファンが選んだ名画パラダイス365日』では、「川部修詩(映画評論家・67歳)」として、『狂恋の女師匠』(監督溝口健二、1926年)、『東海道四谷怪談』(監督中川信夫、1959年)、『異人たちとの夏』(監督大林宣彦、1988年)、『雨月物語』(監督溝口健二、1953年)、『怪談累が淵』(監督中川信夫、1957年)、『亡霊怪猫屋敷』(監督中川信夫、1958年)、『都会の怪異七時三分』(監督木村荘十二、1935年)等を「怪談映画ベスト」に挙げた。 2006年(平成18年)4月3日、死去した。満83歳没。
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