朴在慶とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 朴在慶の意味・解説 

朴在慶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 06:08 UTC 版)

朴在慶
박재경
生誕 1933年6月10日
咸鏡北道
所属組織 朝鮮人民軍
最終階級 朝鮮人民軍大将
テンプレートを表示
朴在慶
各種表記
チョソングル 박재경
漢字 朴在慶、朴在京、朴載慶
発音: パク・チェギョン
日本語読み: ぼく・さいけい
テンプレートを表示

朴 在慶(パク・チェギョン、박재경、1933年6月10日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮人民軍大将。朝鮮反帝闘士老兵委員会委員長。なお、朴在慶は主に韓国で使用されている漢字表記であり、朝鮮中央通信では朴在京と表記している[1]

来歴

咸鏡北道に生まれ、金日成軍事総合大学を卒業した[2]1985年2月少将・総政治局宣伝部長[3]1989年第4軍団政治委員[3]1993年中将[3]1994年6月には上将[3]、同年9月総政治局宣伝扇動担当副局長[3]1997年2月大将[3]2007年人民武力部対外事業担当副部長[3]

金正日の現地指導に頻繁に随行する最側近の一人とされ[2]、軍内での金正日とその夫人高英姫の偶像化に邁進した[4]。金正日の死後、高英姫の息子である金正恩が権力を継承すると、2012年総政治局宣伝扇動担当副局長に復帰した[4]

1993年12月朝鮮労働党中央委員会候補委員(補選)[3]1995年8月候補委員[3]2010年9月委員[3]

1998年9月最高人民会議第10期代議員[3]2003年9月第11期代議員[3]2009年4月第12期代議員[3]金日成呉振宇延亨黙朴成哲趙明禄金正日李乙雪の国家葬儀委員会委員[3]2018年8月に朝鮮反帝闘士老兵委員会副委員長に任命され、2019年5月に同委員会委員長に昇進した。

韓国では、2000年9月に金正日の特使の一員としてソウルを訪問したことでも知られている[2][4]1968年青瓦台襲撃未遂事件で捕虜となって韓国に帰順した金新朝によれば、朴も金新朝と同じく襲撃部隊の生存者であり、追及を逃れて帰国を果たしたのだという[2]。事実であれば当時偵察局要員だったことになるが、1985年以前の詳しい経歴は確認されていない[2]

参考資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朴在慶」の関連用語

朴在慶のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朴在慶のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朴在慶 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS