美浜事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 01:07 UTC 版)
美浜事件(みはまじけん)は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が日本や韓国(大韓民国)に対する諜報・謀略活動を目的として、工作船を用いて北朝鮮工作員を日本に密入国させようとした事件[1]。1990年10月28日に発生した漂着事件[1][2][3][4]。福井県三方郡美浜町の海岸に、2人の遺体と工作子船が打ち上げられた[1][2][4]。
注釈
- ^ 事件発生直前は、台風並みの大荒れの天候で、瞬間風速22.6メートルで最大波高は8.24メートルと観測されている[1]。
- ^ エンジンは1987年型の米OMC社製で[5]、排気量5,735ccのV型8気筒、出力各260馬力で重量は413キログラム[1]。エンジン1基のときの速度は25ノット(時速45キロメートル)、2基のときは40ノット(時速75キロメートル)、3基だと55ノット(時速100キロメートル)の速度を出すことができる[1]。速度を大きく変化させることができ、高速運転も可能で、その際は警備艇などでは追跡不能である[1]。金額は各400万円相当と推定され、イギリス領香港を経由して北朝鮮に輸出されたものと考えられる[1]。また、1,200リットルを超える容量の燃料タンクを備えており、いざというときには、この船だけで北朝鮮に帰還することも可能である[5]。
- ^ 北朝鮮工作員だった李相哲によれば、「三段階方式」の確立は1970年代後半以降で、それ以前は「二段階方式」だったという[5]。
- ^ 遺留品については、毎年12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間に一般公開することがある[2]。
- ^ 元山連絡所を出発して1982年(昭和57年)6月16日に山口県長門市へ侵入工作を行った北朝鮮工作員、李相哲の証言による[7]。
- ^ このエンジンは羅津市(現、羅先特別市)「15(シポ)工場」で生産されるため「羅15(ラシポ)エンジン」の名で呼ばれる[7]。4基のエンジンをフルに稼働させれば、理論上は時速90キロメートルの走行が可能である[7]。
- ^ ソウル特別市の戦争記念館には半潜水艇が保存されており、これは1983年に李相哲が釜山広域市近郊の海岸で韓国当局に逮捕されたときのものである[5]。
- ^ 1991年、埼玉県警察は「李恩恵」を東京都在住(拉致当時)の日本人女性、田口八重子であると事実上断定した[10]。
- ^ 2004年(平成16年)1月29日、特定失踪者問題調査会は鳥取県警察米子警察署に告発状を提出した[11]。日本国政府が松本京子を拉致被害者として認定したのは、2006年(平成18年)11月20日のことであった[11]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 福井県警察本部. “絵で見る美浜事件”. 福井県警察. 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “「美浜事件」風化させない 敦賀署、市役所で資料9点を公開 【福井】”. 産経新聞 (2014年12月11日). 2022年2月22日閲覧。
- ^ 清水(2004)p.226
- ^ a b 高世(2002)p.295
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高世(2002)pp.144-146
- ^ a b c d “北朝鮮の対日工作”. 厳しさを増す国際テロ情勢『焦点』第271号. 警察庁 (2005年12月1日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 高世(2002)pp.143-144
- ^ a b c 安(2000)pp.204-207
- ^ a b “松本京子さんの思い出”. 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会). 2022年2月22日閲覧。
- ^ “街頭から上げる声 田口八重子さんの家族【埼玉】”. 産経新聞 (2014年8月21日). 2022年2月22日閲覧。
- ^ a b “失踪者リスト「松本京子」”. 特定失踪者問題調査会 2022年2月22日閲覧。
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