第四次朝鮮スパイ事件
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第四次朝鮮スパイ事件(だいよじちょうせんスパイじけん)とは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によるスパイ事件[1][2][3]。1958年(昭和33年)10月30日摘発(検挙)[1][2][3]。北朝鮮内務省系のスパイ組織が在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部と接触して工作員候補の獲得、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部の動向監視、朝鮮大学校建設資金の使途状況、在日アメリカ軍・自衛隊の情報を収集していたことが発覚した[1][3][4]。
注釈
- ^ 工作資金は米ドル5,000ドル(当時の為替レートで180万円=現在の貨幣価値で約4,000万円)および日本円40万円(現在の貨幣価値で約900万円)であった[4]。
- ^ 姜乃坤は継続的な工作資金を得るため、町田市在住で北朝鮮本国に実弟がいる柳に対し、北朝鮮から持ってきた実弟からの手紙を見せて脅迫し、土台人として協力させた[4]。すなわち、姜乃坤は工作資金の一部69万円を柳に投資して柳はこの資金を基に1958年3月、大阪市生野区でパチンコ店を開店した[4]。ただし、このパチンコ店は営業不振に陥ったため、柳は「保険金詐欺」を計画、かつての使用人朴に店を放火させて保険金の一部・345万円をだまし取った[4]。
出典
- 1 第四次朝鮮スパイ事件とは
- 2 第四次朝鮮スパイ事件の概要
- 3 外部リンク
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