能登半島沖不審船事件
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能登半島沖不審船事件(のとはんとうおきふしんせんじけん)は、1999年(平成11年)3月23日に発生した[1][2][3]、北朝鮮の不審船による日本への領海侵犯事件と、その逃走時に生起した海上自衛隊および海上保安庁による追跡行の一連の行動を指す。日本海不審船追跡事件とも称される[4]。
- ^ a b c d e 平成11年版海上保安白書
- ^ a b c d e f g h i 海上警察機関による実力行使,廣瀬肇,周辺諸国との新秩序形成に関する調査研究事業報告書 -海上保安国際紛争事例の研究 第1号-
- ^ a b c d e f g h i j k l 能登半島沖の不審船事案と防衛庁の対応
- ^ 北朝鮮対日謀略白書 | 恵谷治
- ^ a b c 麻生幾『文芸春秋』1999年5月号
- ^ 共同通信1999年3月26日
- ^ a b c d e f 防衛ハンドブック 2008,朝雲新聞社,P188-189
- ^ 岩尾克治 『闘う!海上保安庁』 光人社、2008年、P.124。ISBN 978-4-769-81387-3。
- ^ 不審船事件で海保が特殊部隊による突入計画 (朝日新聞1999年3月31日)
- ^ 過去に官邸対策室を設置した事例一覧
- ^ a b 国立国会図書館 (1999年3月25日). “参議院会議録情報 第145回国会 外交・防衛委員会 第8号”. 2013年9月6日閲覧。
- ^ 瀧野(2002)
- ^ 瀧野(2005)
- ^ 鶴岡弘之 (2020年7月12日). “自衛隊特殊部隊、現場の隊員が心から思っていること”. JBpress. 2020年7月12日閲覧。
- ^ a b 「不審船対処関連事業」平成14年度 政策評価書(総合評価)
- ^ 伊藤祐靖 『「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案』
- ^ a b 不審船事案における教訓・反省事項について(検討要旨) 平成12年防衛白書
- ^ a b 海上保安庁法を参照
- 1 能登半島沖不審船事件とは
- 2 能登半島沖不審船事件の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
能登半島沖不審船事件(1999年)
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「海上警備行動」の記事における「能登半島沖不審船事件(1999年)」の解説
詳細は「能登半島沖不審船事件」を参照 1999年(平成11年)3月24日0時50分に海上自衛隊創設以来初の海上警備行動が発令され、同時に他国の艦船・装備品に対する武器の使用が行われた。この事件を教訓に、平時における臨検を行うための特別警備隊が創設されることとなった。また、護衛艦付き立入検査隊の立入検査用装備の強化、各護衛艦への12.7mm機関銃の装備及び銃架の整備、哨戒ヘリコプターへの7.62mm機関銃の搭載等の対処能力の強化が図られた。
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能登半島沖不審船事件
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詳細は「能登半島沖不審船事件」を参照 (1999年3月23日)日本海の能登半島沖に北朝鮮の工作船と見られる船舶が出没し、これを海上保安庁、海上自衛隊が追跡した。海上自衛隊に事実上の実戦命令(治安出動)である海上警備行動が、初めて発令された。結果的に工作船は取り逃がしたものの、この事件は海上保安庁法改正による船体射撃の現実化と巡視船艇の整備、海上自衛隊の特別警備隊や護衛艦付き立入検査隊の編成のきっかけとなった。
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