金淑姫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/17 16:39 UTC 版)
金淑姫(キム・スクヒ、1963年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の工作員。なお「スクヒ」は、実際の発音では「スッキ」に近い[1]。
注釈
- ^ 教育課程は公表されていないが、指導員などを通じて聞いた話によれば、情報班のほかに外国語班、戦闘員班があるようだった[8]。
- ^ 金賢姫は訪日したことが一度もなかったにも関わらず、日本人記者たちと自由に日本語で会話できるだけの日本語能力をもっていた[3]。
- ^ 1978年に香港で拉致された韓国の映画女優崔銀姫は、自身の手記『告白』(2007年に韓国で出版、未訳)のなかで、東北里招待所に収容されているとき(1979年〜80年)、散歩中に「ミス・孔」と会い、何度も会話をしたという[17]。金賢姫は、その回顧録を読んで「ミス・孔」の記述があることを知り、新証言につながった[17]。日本の拉致問題関係団体は崔銀姫証言をもとに調査し、「ミス・孔」の本名、彼女がマカオのリスボア・ホテルの宝石店で働いていた1978年7月に別の女性とともに拉致されたこと、当時20歳だったこと、「ミス・孔」ともう一人のマカオ人女性は、北朝鮮に連行されたのち、在北朝鮮インドネシア大使館にかけこんだが大使館は北朝鮮側に彼女たちを引き渡したこと、「ミス・孔」がカトリック信者であり、洗礼名は「マリア」であることなどが判明した[17]。
- ^ 北朝鮮の説明では、田口八重子は1984年10月19日に拉致被害者の原敕晁と結婚し、1986年に原・田口が次々に死亡したということであったが、1984年末まで田口は結婚していなかったことが拉致被害者や金賢姫の証言で明らかになった[31]。
- ^ 横田めぐみが病気がちであったことは、拉致被害にあった別の日本女性からの証言もある[1]。
- ^ 金賢姫は、2017年の産経新聞によるインタビューに対し、「大韓航空機爆破事件の3年前(1984年)、金淑姫とともに淑姫の日本語教育係をかつて務めた横田めぐみが暮らす招待所をこっそり訪ねたことがあった」という新証言をしている[32]。それによれば、面会したのは10分か15分くらいで、淑姫が横田に会いたがっていたという[32]。金賢姫と横田めぐみは、特に話題もなく「何をしていたの」「本を読んでいた」という程度で気まずい雰囲気が流れた[32]。そこで金淑姫が「私たち、歌でも歌いましょう」と声をかけ、淑姫と横田の2人は金賢姫の前で「君が代」を歌ったという[32]。ただし、金賢姫は2010年の横田滋・早紀江との面会で、時期不明のこととして、「金淑姫に『横田めぐみに会いに行こう』と誘われ、平壌市内の彼女を訪ねたところ、横田が料理したチヂミを振る舞われたことがある」と証言している [33]。それによれば、横田めぐみは「座って本を読むなどおとなしく物静かで、猫を飼っていた」「自分のためにお金を使わず、洋服やバッグなどを金淑姫にプレゼントしていた」という[33]。金賢姫が横田めぐみと会ったのは本当に1回だけなのかについては、精査の必要がある。
- ^ この証言に対し、めぐみの母横田早紀江は「めぐみはとても活発で、明るい子でした。『おとなしい』なんて言われるのは、おかしい。向こうに連れて行かれて、どれだけショックを受けたか」と話している[34]。
- ^ 金英男は、1978年8月、16歳で失踪した韓国人拉致被害者(当時は高校生)、のちに横田めぐみと結婚し、一女キム・ウンギョン(幼名ヘギョン)をもうけた。
- ^ 金賢姫が田口八重子について書いた1995年の本とは、『忘れられない女(ひと)―李恩恵先生との二十カ月』のことである。
出典
- ^ a b c d e f g h “田口さんとめぐみさん、招待所で同居”. 朝日新聞デジタル (2009年4月6日). 2021年9月20日閲覧。
- ^ a b c d e 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(上)』(1991)pp.168-170
- ^ a b c d e f g h i 西岡(1997)pp.6-8
- ^ a b c d 西岡・趙(2009)pp.204-205
- ^ a b 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.150-155
- ^ a b c d e 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.155-159
- ^ a b 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.227-228
- ^ a b c d e f g h i j 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.159-164
- ^ a b c d e f g h i 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.164-166
- ^ a b c 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.166-167
- ^ a b c d 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.170-171
- ^ a b 西岡・趙(2009)pp.206-209
- ^ a b c d 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.192-193
- ^ a b 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.194-196
- ^ a b 西岡・趙(2009)pp.45-46
- ^ a b “救う会全国協議会ニュース マカオ人拉致被害者孔氏が金賢姫氏の中国語教師”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2009年3月10日). 2021年9月20日閲覧。
- ^ a b c d 西岡・趙(2009)pp.53-55
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.199-200
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.207-208
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.213-214
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.217-218
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.218-224
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.231-232
- ^ 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)p.229
- ^ a b 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.232-233
- ^ a b 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.241-244
- ^ a b c 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.245-246
- ^ a b c 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.247-252
- ^ a b c 金賢姫『金賢姫全告白 いま、女として(下)』(1991)pp.255-257
- ^ a b c d 西岡・趙(2009)pp.36-37
- ^ a b 西岡・趙(2009)pp.40-42
- ^ a b c d “大韓航空機爆破犯の金賢姫元工作員はなぜ「横田めぐみさんは生きている」と確信しているのか”. 産経新聞 (2017年12月30日). 2021年9月20日閲覧。
- ^ a b “金元工作員、めぐみさんと「1回食事」 新情報はなく”. 日本経済新聞 (2010年7月22日). 2021年9月20日閲覧。
- ^ 西岡・趙(2009)p.75
- ^ a b 西岡・趙(2009)pp.37-39
- ^ a b 西岡(1997)pp.8-10
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