拉致被害者との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:30 UTC 版)
金賢姫が東北里の招待所で拉致被害者の田口八重子(朝鮮名「李恩恵」)から一対一の日本人化教育を受けていた1982年、田口が学生時代にテニスで痛めた腰痛が再発し、約一週間、915病院に入院して治療を受けたことがあった。金賢姫の回顧録によれば、田口は普段朝食を摂らず、コーヒーをよく飲んでいて痩せていたが、金が10日以上も学習ができなくなったので田口に面会に行ったところ、彼女は特別個室にいて、以前より血色がよくなり、まるまる太っていたという。なお、日本に帰国した拉致被害者の一人は、1985年1月頃まで田口八重子と横田めぐみ、北朝鮮工作員の金淑姫の3人が同居生活を送っていたが、途中で金淑姫がいなくなって田口と横田が平壌南方の忠龍里で2人で暮らすようになり、1986年春頃、田口が再び腰痛で915病院に入院したため、横田が1人残されたことを証言している。 北朝鮮で工作員教育を受けて1993年に韓国に亡命した安明進は、1990年5月、訓練中に腕を骨折して915病院に入院したとき、拉致被害者の古川了子(千葉県出身)を2度目撃している。1度目は、病院の外から外国人病棟に向かう姿を目撃している。このとき彼女は、「915」の数字が横に書かれた患者用のガウンを着用していたが、着用義務のある保安帽はかぶっていなかった。当時、30歳代半ばのようにみえたという。2度目は、外国人病棟の前で日光浴をしている彼女である。古川が入院したのは胃病のためであったという。
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