拉致被害者の境遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:02 UTC 版)
「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「拉致被害者の境遇」の解説
一部の拉致被害者は、金委員長の別荘でもあり、外国人賓客の宿泊するホテルとしても使われる「招待所」において、特殊工作機関の常時監視のもと、上述の特殊技能を活かした任務や日本語文献の翻訳などに従事させられていたとの指摘がある。脱北者によれば、日本人を含む拉致被害者は、別世界のエリートとして扱われており、彼らとすれ違う際は目を伏せ顔を見ないようにするよう厳しく言われていたという。 餓死する子供が多発している北朝鮮の一般庶民の現状に比べると拉致被害者たちは優遇された生活を送っていたと言われている。招待所では寿司や酢豚などの料理を食べ、外国映画を見る機会もあり、一般住民の生活よりはるかに好待遇であったが、自由な外出は許されなかったという。2002年に帰国した拉致被害者、蓮池薫の「招待所にいた時は賄い付きだった」「招待所にいる間は、名所観光をしたり娯楽映画などを見たりした」、曽我ひとみ「一般の朝鮮人との接触はない」等の証言がある。 北朝鮮の一般市民との接触は、継続的に特殊工作機関による厳重な監視下に置かれ、この時期に限らず常に遮断された状態であった。北朝鮮側は、2004年(平成16年)11月の日朝実務者協議で「死亡」とされた8人の死亡診断書等の資料が捏造であったことを認めた。また、横田めぐみのものとして提供された「遺骨」を鑑定した結果、日本政府は別人のものと判断し、未帰還の多くの拉致被害者は生存していると見ている。拉致被害者はこの他にも多数おり、特定失踪者問題調査会では数百人に及ぶ日本人が拉致されていることを示唆している。 その一方で、生存情報の多くを頼っていた安明進・元北朝鮮工作員が韓国で麻薬密輸・使用で有罪判決を受け、その後姿を見せていないことから、推測や憶測が混じったこれまでの情報の再検証が真相解明の為に不可欠となっている。
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