拉麺タイムトンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 03:31 UTC 版)
「ラーメン発見伝」の記事における「拉麺タイムトンネル」の解説
大阪支社から異動してきた葉月が赴任早々発案したラーメンテーマパークプロジェクトを、藤本と佐倉が葉月を補佐する形で実現させた。それまでのラーメンテーマパークにありがちな「地域別(日本各地のご当地ラーメンを揃える)」「タイプ別(コッテリ系からアッサリ系を揃える)」でなく、古くは「昭和30年代」から、「平成年代」までの数十年で移り変わってきたラーメンを追って行く「年代別」というコンセプトで店舗を揃え、年配の客には懐かしい過去、若い客には未知なる過去への旅となるよう、歩いていて楽しいテーマパークを目指して作られた。 醤福亭 店主は榎木孝。昭和30年代=東京・醤油ラーメン代表として入るはずだったが、本店を任せておくはずだった先代店主が突然倒れて入院することになったために、二代目店主が本店から離れることができなくなり、出店を断念した。 中華18番 醤福亭に替わって昭和30年代代表として入店した。店主は夏目和志(41歳)。物語の10年以上前に既に閉店していたが、有栖によれば「今もあったら最有力候補」とのことだった。若い頃の夏目は後述の日下部(シゲさん)ら従業員に店を任せて遊びまくり、遂には店を潰してしまった経緯がある。その後醤福亭の代わりとなる昭和30年代代表の店を探していた藤本達が、取引先の社員食堂で「中華18番」のラーメンを再現して出していた夏目を発見。説得の末出店にこぎ着けることとなった。 みそ吹雪 店主は西方直敏。昭和40年代=札幌・味噌ラーメン代表。西方は一見頑固な老人に見えるが優しい一面もあり、オープン初日に発注のミスで麺が足りなくなってしまった「中華18番」のために、東京の製麺所のうち飲み仲間になっている何人かに製麺を頼んでくれた。 東西軒 店主は藪下登。昭和50年代=つけ麺代表。いつもニコニコした良い人そうに見えて実はしたたかで腹黒。後に後述の「六麺帝」に移籍。対抗戦での敗北後に「六麺帝」を追放され、「タイムトンネル」に出戻ることになる。最終戦に藤本が出場する際には藤本のラーメンの試作に協力し、藤本が「自分のラーメン」を完成させるきっかけとなる。 豚こつ食堂 店主は権藤茂俊。昭和60年代=博多とんこつラーメン代表。「タイムトンネル」に出店している店主の中では最も血の気が多く、オープン前からオープン後にかけて藤本達にクレームを付けることが何度もあり、オープン後には理由は不明だが藤本達を怒鳴りまくり、藤本達が平謝りしているコマもあった。「六麺帝」に出店している「らあめん BONE」店主の石黒豪とは初対面でもすぐに打ち解け、その後諍いが起こるものの、対抗戦の終了後に和解した。 にぎやかラーメン 店主は町口治。平成年代=とんこつ醤油ラーメン代表。後述の阿部とはウマが合わずいがみ合っていることが多い。藪下が「六麺帝」に移籍したことを良く思っておらず、対抗戦で藪下と対戦することになった時には闘志を燃やす。 麺屋 草枕 店主は阿部潤也。現代=濃厚魚介系ラーメン代表。千葉とは旧知の仲。「拉麺タイムトンネル」オープン一ヶ月後の売り上げ集計では最下位だった。「六麺帝」との対抗戦では、最終戦で芹沢と対戦するはずだったが事故に遭い入院することになり、代わりに藤本が出場することになった。
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