つけ麺(つけめん)
つけ麺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 05:42 UTC 版)
つけ麺(つけめん)とは、麺をつゆにつけて食べるスタイルの麺類で、今日においては、主にラーメンの一種ともされる日本の麺料理である[1]。店によってはもりそば、つけそば、ザルとメニューに記される[2]。
注釈
- ^ 「あつもり」との区別として元々の冷たい麺を「ひやもり」と特記する店舗も存在する。
- ^ この店のルーツを辿っていくと、荻窪駅南口にある1948年に創業した「丸長」というラーメン屋になる。この「丸長」から「丸信」、「栄龍軒」、「大勝軒」(代々木上原・中野系、東池袋系)などがのれん分けしていく。そういった店が「丸長」をトップに「丸長のれん会」を結成する。ただし、東池袋系の大勝軒のうち、丸長のれん会に所属しているのは東池袋大勝軒のみであり、それ以外の系列は「大勝軒のれん会」もしくは「大勝軒 味と心を守る会」に所属している。
- ^ 1961年6月6日開店、2007年3月20日閉店、2008年1月5日移転再開。
- ^ 中野店は坂口の経営に戻ったため、代々木上原・中野系大勝軒の「つけそば」へと味が変わった。
出典
- ^ a b c d e f “「つけめん」は「ラーメン」か? 新横浜ラーメン博物館が取材・調査を発表”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年5月19日). オリジナルの2013年6月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 「〝つけめん〟大ウケ」『讀賣新聞』1977年11月25日付朝刊、第12面。
- ^ a b 2007年3月19日放送『嗚呼!花の料理人 PRESENTS グルメの常識100連発 目指せっ!食ツウの星2』(日本テレビ系)にて「1955年」と山岸本人が発言[出典無効]。
- ^ a b c d e f g CodeZine 『東池袋大勝軒・初代店主 山岸一雄-その1-戦争の終結で消えた最初の夢』 Archived 2008年4月20日, at the Wayback Machine.より。
- ^ a b c つけ麺広めた大勝軒の歴史をたどる - 読売新聞 2011年9月20日
- ^ CodeZine 『東池袋大勝軒・初代店主 山岸一雄-その2-27歳で独立、初の行列店に』 Archived 2008年1月31日, at the Wayback Machine.より。
- ^ 元祖中華つけ麺大王 Archived 2009年6月8日, at the Wayback Machine.
- ^ 日本即席食品工業協会:即席麺家頁 > 誕生と進化のストーリー > 第4章 カップめん登場と国際化
- ^ makotosuzuki (2014-01-31), 70年代 ハウス食品CM集 2024年5月30日閲覧。
- ^ a b 月刊人事マネジメント 2005年12月号『行列ラーメン店の系譜と暖簾分け・弟子育成システム』(JMリターンズ) (PDF) より。
- ^ a b c d 「ラーメン」ブーム再燃!?“ポスト魚介豚骨”はこれだ〔2〕 日経トレンディネット 2009年05月28日
- ^ a b c ラーメン界に次なるブームの予感!“つけ麺”の次は“太麺ラーメン”か 東京ウォーカー 2009年11月16日
- ^ a b 「ラーメン」ブーム再燃!?“ポスト魚介豚骨”はこれだ〔1〕 日経トレンディネット 2009年05月28日
- ^ 日比谷パティオで「大つけ麺博」 - 全国24店がオリジナルつけ麺提供 銀座経済新聞 2009年10月27日
- ^ 『大つけ麺博』が“JAPANツアー”開催 今年もPR大使に狩野英孝が就任 オリコングルメ 2010年4月14日
つけ麺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/28 23:06 UTC 版)
スープはよりドロッとした濃厚なものになっている。麺は太麺を使用しているものが多く、濃厚なスープとからめて食べる味わいに人気がある。
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つけ麺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:38 UTC 版)
茹で上げた麺を冷水で締め、ざるそばのように一口分ずつつけ汁につけながら食べる。締めた麺を湯通しし、熱盛りとすることもある。
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