つげが影響を与えた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)
日野日出志 - 1966年の「チーコ」に大きな衝撃を受け、「つげ義春のようなマンガを描きたい」という思いでマンガを描きつづけたという。 はるき悦巳 - 「つげ義春がめっちゃ好きやね。今はそう読めなくなったけど、もう、漫画描くのいやになるくらい好きやからね」、「同じ雑誌に載るというだけで、何もつげ義春と机を並べて仕事する訳でもないのだが、「あのつげ義春と共演できる!!」と思うとボーっとなって自分を見失ってしまうのだ」と発言している。 蛭子能収 - 「それまでの旅物とか温泉物は、それ程好きっていう訳ではなくて、『ねじ式』を読んで一変しましたねえ」、「映画の世界では、芸術映画ってたくさんありましたけど、漫画の世界では、そんなことありえないって思ってたんですよ。漫画は、普通のストーリーで進んでいくものだって。でも、つげ義春さんの『ねじ式』っていうのを読んで、ビックリしたんですよ。漫画でもこんな芸術っぽいものが出来るんだ、受け入れられるんだって。強い影響を受けましたね」と発言している。 雁屋哲 - 「つげ義春を一言で表現したいと思ったら「天才」という言葉以外は思い浮かばない」、「つげ義春の作品を、日本人全員は読め、と私は言いたい」と絶賛している。 佐藤秀峰 - 高校生の時に初めてつげ義春の作品を読み、最初は意味がわからなかったが、やがて絵の魅力に取り憑かれ、「僕は原稿中のベタの面積が比較的大きい(画面が黒っぽい)漫画家なのですが、これは間違いなくつげさんの影響です。それまで、漫画は線画が基本であると思っていた僕にとって、線じゃなく白と黒という色で表現する漫画があることに驚き、強烈にカッコイイと思いました。絵を眺めるだけでも飽きず、繰り返し読みました。もちろん(?)模写もしまくりましたよ」と発言している。 弘兼憲史 - 影響を受けた漫画家の名に手塚治虫、上村一夫、つげ義春、永島慎二を挙げ、「最初は手塚さんで、それから永島さんの『漫画家残酷物語』で、大学時代はつげさんの『ねじ式』、あと上村さんの『怨獄紅』や『密猟記』『同棲時代』あたりをずっと読んでいました」と発言している。 川上弘美 - 好きな漫画家の名を挙げて「白土三平,手塚治虫に始まり,萩尾望都,大島弓子,山岸凉子,つげ義春につげ忠男,いがらしみきおに諸星大二郎,しりあがり寿」と発言している。 小西康陽 - 「小学校高学年の時に,なんか家庭教師の人が,早稲田の学生さんの人が来てて,その人がいろんないっぱい新しいマンガとか教えてくれて,「ガロ」とか読んでた.つげ義春とか佐々木マキとか好きになって」と発言している。 植芝理一 - 『ねじ式』に影響を受けた独自の作風を持つ。 花輪和一 - 『ねじ式』を読み衝撃を受け漫画家を志す。 江口寿史 - 好きな漫画家の筆頭につげ義春を挙げ、「ねじ式」のパロディ作品「わたせの国のねじ式」を発表している。 よしながふみ - 「わたしは、つげ義春さんのマンガが好きで」と表明。「つげさんのマンガの中で、売ろうとしていた石が全然売れなくて、奥さんがばーんてその石を投げて、もう、こんなのやだーっ、あんたにはマンガしかないのよって言って、後ろに喘息の子どもがうぇーって泣いてて、最後にお寺の鐘がゴーン。あれ、元気出るんです、すっごい。もう何度読んでも、このゴーンてとこで元気が出ます」と発言している。 久住昌之 - 高校時代『つげ義春作品集』をきっかけにつげファンとなり、特に『つげ義春とぼく』を「奇跡の一冊」と絶賛している。 逆柱いみり - 『ねじ式』を読み漫画家を志す。
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