つげ義春への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 00:54 UTC 版)
漫画家のつげ義春は、漫画作品『無能の人』の最終話である第6話「蒸発」に、井月を詳しく描いている(初出は1986年12月、「COMIC ばく」)。河原で石を売る主人公が、病人のふりをしながらよたよた歩く無為徒食の古書店主人山井(病をもじったもの)からむりやり貸し付けられた『漂泊俳人 井月全集』を読む。そして、井月の半生をその死まで思い描きつつ、井月に自らや山井の姿を重ね合わせ、感慨にふけるという筋書きになっている。最後は「井月も山井も大馬鹿ものだよ……」という主人公のセリフで締めくくられる。 「蒸発」には以下のような句が引用されている。 ・降るとまで 人には見せて 花曇り・落栗の 座を定めるや 窪溜り・石菖や いつの世よりの 石の肌・何処やらに 鶴の声きく かすみかな つげは『漂泊俳人 井月全集』を読み、それに収録されていた、「何処やらに 鶴(たず)の声聞く 霞かな」の一句で井月に魅せられてしまったという。つげは井月を「過去を消した蒸発者」と考え、自ら蒸発を試みたこともあり、井月と自分を重ね合わせて見たくなるという。
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