拉致議連活動
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2005年6月25日に拉致被害者家族連絡会と拉致議連の合同訪韓で、1997年に北朝鮮から亡命した元朝鮮労働党書記・黄長燁(ファン・ジャンヨプ)と面会した。この時、森は途中退席し、当時拉致議連幹事長だった西村眞悟の許可を得て、「個別の具体的なことは知らないが(死亡とされた被害者は)非常に重要な機密を知っているがために、北朝鮮側が『死んだ』という発表を行った可能性が強い。全員が死んでいるとは考えられない」とするファン・ジャンヨプの発言をマスコミに公開した。この会談の内容はその後、内閣・政府に提出されている。この発言は、当時拉致議連の事務局長であった平沢勝栄によって訂正されているが、この平沢発言に対して「平沢が会談の内容を独占してメディアに取材させるために行った虚偽の発言」と主張する救う会関係者もいる。後日、混乱を起こしたことにより、平沢は拉致議連総会において森に謝罪した。ファン・ジャンヨプの発言内容が真実であることは、内閣・政府に提出した会談内容で確認される。2006年10月11日に参院予算委員会で、北朝鮮拉致被害者支援の立場から、拉致被害者家族が北朝鮮の国民と家族に向けてメッセージを放送する短波ラジオ「しおかぜ」を支援するように参議院で提案する。この提案は了承され、政府は日本放送協会に「しおかぜ」への援助を要請した。
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