拉致被害の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 02:45 UTC 版)
全容は明らかではないが、連れ去られた被害者は韓国人・日本人のみならず、レバノンやタイ、マレーシア、中国(マカオ)でも市民を誘拐し、オランダやフランス、イタリアの市民も拉致の被害を受けた。その他、アメリカ合衆国、タイ王国、ルーマニア、ヨルダン、シンガポールの国民、また、台湾出身の中国人が含まれると見られている。合計14の国と地域におよんでおり、うち、日本、韓国、中国、タイ、レバノン、ルーマニアの6か国については拉致犯罪が確定的である。 そのうち、最大規模は韓国で、朝鮮戦争中の民間人拉致が82,959人(韓国政府調べ)、朝鮮戦争後の帰国者を除く拉致被害者が517人である。日本人は家族会・救う会の推計で約100人、そのうち、日本政府認定が17人であり、その他、渡辺秀子の子女(朝鮮籍)2名は警察が認定している。タイ人1名、レバノン人4名、中国(マカオ)人2名、ルーマニア人1名については被害者が特定されている。 マレーシア人4名、シンガポール人1名については崔銀姫の伝聞証言(うち1名はジェンキンスが目撃)、フランス人3名・イタリア人3名・オランダ人2名についてはレバノン人被害者の目撃証言、ヨルダン人1名については崔銀姫の目撃証言がある。 脱北した元北朝鮮統一戦線部幹部のチャン・チョルヒョンが、「救う会」主催の国際セミナーで報告したところによると、「世界各国から子供を拉致する金正日総書記の指令」が出され、日本だけでなく世界各地域から、北朝鮮工作員に育てる目的で、特に子供たちが拉致される事例が多かったという。2013年2月時点で、拉致被害者の出身国は14カ国にのぼる可能性が浮上している。 2002年に金正日国防委員長は小泉純一郎訪朝での日朝首脳会談の際に初めて公式に一部の拉致を認めて謝罪した。同年10月15日に拉致被害者の一部(5名)が北朝鮮から日本に帰国している。 1978年にローマで拉致されたドイナ・ブンベアの調査から、4人の米国脱走兵の4人の妻(ルーマニア人ドイナ・ブンベア、レバノン人シハム・シュライテフ、日本人曽我ひとみ、タイ人アノーチャ・バンジョイ)がすべて北朝鮮による拉致被害者であったことが判明した。2005年、ルーマニアのミハイ・ラズヴァン・ウングレアーヌ外相が北朝鮮に口頭で説明を求めたのに対し、返答がなかったことを明らかにしている。 2004年には中国雲南省旅行中に姿を消したアメリカ人男性が、拉致されたとされる。アメリカ北朝鮮人権委員会によると拉致されたのは米国人男子学生で、その直前には米下院で北朝鮮人権法が可決されたことに反発した北朝鮮が「米国人に対して行動を起こす」と警告していた。韓国拉北家族協議会代表の崔成龍によると、金正日が自分の子供たちに英語教師が必要だとして拉致の指示をしたという。この問題に関して家族会代表飯塚繁雄と山谷えり子が2012年に渡米した際、アメリカ側からこの男性はユタ州出身で、失踪には中国当局が関与していた可能性があると伝えられた。 2007年4月、日本の警察当局は、1973年に日本国内で失踪した朝鮮籍の幼い姉弟、高敬美・高剛の失踪事件を、北朝鮮による拉致事案と判断した(2児拉致事件)。日本政府は、拉致は国籍に関わらず深刻な人権侵害であり、同時に日本に対する重大な主権侵害であることから、北朝鮮に対し、「原状回復」として被害者を日本に帰還させることを求めている。
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