オープン後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:53 UTC 版)
2007年(平成19年)9月14日 - 身障者専用駐車場のゲートのリモコンの出力が省令で定められた基準を超すものであったため、リモコンを回収し、ゲートの稼働を一時的に停止することを発表する。 11月7日 - D出入口の出庫運用開始に伴う平面駐車場のライン変更工事が行われる。 11月8日 - D出入口の出庫運用開始。住宅地に面するD出入口は、午後8時以降の閉鎖や、騒音や交通渋滞の対策が求められていた 12月8日 - ペットシティを除く専門店の開店時刻が午前10時から午前9時に変更され、全館9時の開店となる。 2008年(平成20年)2月15日 - 「京都一斉ライト・ダウン」に参加し、建物壁面、駐車場照明、屋上一部など10箇所の照明を19時-21時まで消灯。 3月29日 - けいはんな市民雑学大学の第一回講座がこすもすホールで開催される。 6月11日 - 高の原サティにセルフレジ4台が導入される。 2011年(平成23年)3月1日 - ジャスコとサティの店舗ブランドの「イオン」への統一に伴い、高の原サティが「イオン高の原店」へ店舗名を変更。 4月8日 - 急速充電器の供用開始。 11月21日 - 「イオンモール高の原」に改称。 2012年(平成24年)4月26日 - 充電網整備推進機構や大阪府などが実施する「電気自動車用急速充電器ネットワーク試験サービス(仮想通貨実験)」に参画し、実証実験を開始。 2013年(平成25年)5月23日 - イオン高の原店の食料品・日用品売場が改装工事にともない臨時休業。 5月24日 - イオン高の原店の食品のフロアがリフレッシュオープン。フローズンコーナー・お惣菜コーナーが新しくなる[要出典]。 5月24日 - 5月29日 - イオン高の原店のビューティ売場が改装工事にともない臨時休業[要出典]。 5月30日 - イオン高の原店全館リフレッシュオープン。美と健康のフロアに新しくDr.Ci:Labo、THE FACE SHOP、オーガニックコスメ、ジュリア・オージェモア、Opt Valuが新しく設けられ、調剤薬局が拡張される。 7月12日 - イオン高の原店の食料品売場の開店時間を午前7時に繰り上げる。 11月1日 - イオン高の原店の食料品売場でのレジ袋無料配布を中止。 2020年(令和2年)4月18日-新型コロナウィルス流行による緊急事態宣言によりイオンスーパー以外の店舗休業。
※この「オープン後」の解説は、「イオンモール高の原」の解説の一部です。
「オープン後」を含む「イオンモール高の原」の記事については、「イオンモール高の原」の概要を参照ください。
オープン後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:14 UTC 版)
オープンした当時の2010年11月には、客が満足できるような仕組みが整っておらず、経営が苦しい状態にあった。さらにその後、ようやく売上が上向いた矢先に東日本大震災が発生して売上が落ちてしまい、社会全体が文具どころではないという状態になった。しかし、震災をきっかけにモノづくりの背景へ興味を持つ者が増えたり、2012年にOZmagazineに記事が掲載されたり、といった経緯により、ようやく売り上げが軌道に乗った。 2014年9月には、オリジナルのインクを作ることができるショップ「ink stand by kakimori」を店舗隣にオープンした。 2015年4月から6月には、台湾の華山1914文化創意産業園区に「カキモリ POP-UP shop in 台湾」を開設し、カキモリのオリジナルインクなどを販売した。 2016年4月5日から7月末までには、東京都渋谷区神宮前にある「裏参道ガーデン」という施設に「カキモリPop-up store 表参道」というオーダーノートが中心のポップアップストアを開設した。本来であれば2年間の出店を予定していたが、訪れる人が少なく、わずか3ヶ月で閉店した。 2017年10月13日には、「カキモリ高崎」を群馬県高崎市にある高崎オーパの6Fにオープン。高崎限定のインクなどを販売していたが、2018年7月8日に閉店した。 同年11月28日には、混雑の解消や新サービスの開始を目的に、旧店舗の約3倍の広さを持つ現在の蔵前橋通りの鳥越神社近くに移転し、リニューアルオープンした。また、これに際して今までスタッフが着用していた腰巻きのエプロンを、上半身まである麻のワークエプロンに変更した。 2020年には新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言の発令により、同年4月1日から6月1日まで店を休業。その間オンラインストアのラインナップの拡充やInstagramを使用したライブ配信などを行った。また、人件費や両替・ATM利用などによる手数料などで現金決済によるコストが上がり、さらにこのコロナ禍の影響で現金そのものや授受が不衛生という考えが広がったため、客には極力キャッシュレス決済をお願いし、将来的には完全キャッシュレス化を目指す予定だという。 また、御徒町や蔵前の一帯の総称「カチクラ」で不定期に行われるイベントである「モノマチ」に、2011年に行われた第1回から第12回を除き全て参加しており、「カキモリカフェ」のオープンや、福岡の文房具・インテリア雑貨メーカー「ハイタイド」とコラボしたショップ「HIGHTIDE STORE mini」のオープン、革製品メーカーの「野村製作所」とコラボした限定オーダーノートの販売、箔押屋の「田中箔押所」でカキモリのノートに箔押しをすることができるサービスなどを行っている。
※この「オープン後」の解説は、「カキモリ」の解説の一部です。
「オープン後」を含む「カキモリ」の記事については、「カキモリ」の概要を参照ください。
オープン後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:52 UTC 版)
1975年(昭和50年)7月19日にアクアポリスや海洋文化館・水族館(現在の美ら海水族館が開館する前の旧水族館)を含む海洋生物園・エキスポビーチ、水の階段、水のプロムナード、中央階段、夕日の広場を含む海浜公園の政府出展4館合同の開館式が、当時の三木武夫総理大臣・河本敏夫海洋博担当大臣出席のもと海洋文化館で行われた後、アクア大橋でのテープカット・橋の渡り初め・来賓の館内案内が行われた。 コンパニオンは「アクアメイト」と呼ばれる50名で、海上都市の住民をイメージした未来型(当時における未来志向型)の衣装で案内した。 「海上都市」として海洋汚染を起こさないよう、アクアポリス内で出たごみを無煙焼却する装置や汚水処理装置・海水の淡水化装置などが設置された。 アクア大橋の周辺海域は延長750 mの網で囲まれ、「海洋牧場」としてブリやハマチ・タイや地元の魚を養殖する試みがなされた。集魚用の音響発生装置を備えた舟3隻で音を出しながら魚を集め給餌する様子は、水中ビデオカメラで撮影し無線でアクアポリスに送信され、アクアホールのアクアスクリーンで観客が見ることができた。 展示区画にはアクアポリスの動きを紹介する模型が設置され、壁には色のついた液体で半分ほど満たされた透明な管が横に設置され(大型の気泡型水準器をイメージされたい)、船のような揺れを感じないアクアポリスが、実際にはわずかに波で揺れていることを視認できる展示がなされた。また、一部極厚ガラス製の床部分があり、足元から直下の海面を見ることができた。宿泊区画も存在した。会期中の1975年7月・8月・最終月の1976年1月には、想定収容能力として見込んでいた1日の入館者数16,000人前後にあたる人々がアクアポリスを訪れ、1975年8月23日には最高記録25,121人が入館。1976年1月18日閉館までの総入館者数は2,034,122人に達した。 1975年7月20日 - 1976年1月18日の間、「沖縄海洋博郵便局アクアポリス臨時出張所」が置かれた。
※この「オープン後」の解説は、「アクアポリス」の解説の一部です。
「オープン後」を含む「アクアポリス」の記事については、「アクアポリス」の概要を参照ください。
オープン後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 08:52 UTC 版)
2010年3月20日にオープン。しかし予想された来場者数より実績数が大幅に下回る事態となり資金計画が頓挫した。1日平均の来場者は1700人を予定していたが、来場者は予想の1/3以下の500人程度に留まった。レストランは、古代米や大和野菜を使った料理を振舞うとされていたが、実際は洋食中心のメニューであった。業績低迷を受けてレストランは地元の食材をつかった田舎料理も取り扱うように改善を行った。また花火大会や地元出身演歌歌手の西本真詞を招聘してのイベントを開催した。また夏場は営業時間を延長して20時30分までの営業とした。またバスツアー会社に営業を行い、バスツアーに施設を組み込んでもらい、昼食を兼ねた休憩場所として施設を利用してもらうよう働きかけた。時には北海道フェアを開催するなど、設立趣旨と乖離した運営を行った。
※この「オープン後」の解説は、「卑弥呼の庄」の解説の一部です。
「オープン後」を含む「卑弥呼の庄」の記事については、「卑弥呼の庄」の概要を参照ください。
- オープン後のページへのリンク