能登半島沖不審船事件への対処
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:56 UTC 版)
「川崎二郎」の記事における「能登半島沖不審船事件への対処」の解説
運輸大臣在任中の1999年(平成11年)3月23日、能登半島沖不審船事件が発生する。海上保安庁の所管官庁は運輸省であったため、川崎は海上保安庁に対し、威嚇射撃を許可する旨を通達。これを受け、海上保安庁は不審船に対して威嚇射撃を行った。首相官邸対策室は海上警備行動の発令を検討するも、この不審船は北朝鮮の工作船である可能性が高く、親朝派の野中広務内閣官房長官が官邸に圧力をかけたために阻止された。しかし威嚇射撃を受けた不審船は一旦逃走を始めたが、日本側が追跡を一時的に中断したものを、追跡を断念したものと判断したのか、日本の領海内で停船。そのため翌24日0時過ぎ、川崎は野呂田芳成防衛庁長官に「海上保安庁の能力を超えている」と連絡。川崎から連絡を受けた野呂田が海上自衛隊に対し、海上警備行動を発令した。 この事件以降に新造される巡視船艇の能力向上が図られるようになった。
※この「能登半島沖不審船事件への対処」の解説は、「川崎二郎」の解説の一部です。
「能登半島沖不審船事件への対処」を含む「川崎二郎」の記事については、「川崎二郎」の概要を参照ください。
- 能登半島沖不審船事件への対処のページへのリンク