その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:04 UTC 版)
刑事訴訟とはならなかったが、鈴木宗男に絡んで以下の問題が注目された。 NGO参加拒否問題 政府主催のアフガニスタン復興支援会議への出席をピースウィンズ・ジャパンなど2団体が拒否された事件。 この問題に対してピースウィンズ・ジャパンの統括責任者である大西健丞は外務省幹部から「鈴木宗男の意向でNGOの会議への出席が拒否された」ことが電話で話されたこと、電話番号を知らせていない鈴木宗男からいきなり電話があり、「(自民党にネガティブな外務省絡みの報道に関して)お前はマスコミにちゃんとレクチャーしたのか」と怒鳴られたことを明かした。 この問題がきっかけで、鈴木宗男と外務省の関係が注目されるきっかけとなった。 警察庁によるロシアスパイの視察作業への介入 2000年2月末頃、警視庁公安部外事第一課が視察対象にしていたSVR(ロシア対外情報庁)東京駐在部長だった在日本ロシア大使館参事官のボリス・スミルノフについて、視察をやめるように警察庁警備局長に働きかけていた事件。 警視庁公安部外事第一課の第四係はスミルノフに対して連日、強行追尾を含めた視察作業を行っていた。スミルノフは当時親交のあった佐藤優に相談。佐藤優を介して鈴木宗男から警察庁警備局長に圧力が掛り、視察作業は中止させられたといわれる。証人喚問でこのことを来たれた際に上田清司に質問された時には「覚えておりません」と証言し、その後に原口一博に同じ質問された時には「そういったことはなかったというふうに考えております」と証言した。 モンゴルODA問題 モンゴル国への施設供与は、1998年から2001年にかけ4次にわたって実施された。 問題となっているのは第4次事業であり、当時自民党総務局長でありモンゴル国に影響力が強かった鈴木宗男の強い意向で、第4次供与が実現した。 ディーゼル発電施設工事は三井物産が受注したが、この過程で国後島のディーゼル発電所で偽計業務妨害で逮捕された三井物産幹部が2000年から2001年にかけてモンゴル国政府高官への贈賄工作疑惑が浮上した。 検察は外国公務員への贈賄罪を規定した不正競争防止法違反容疑で三井物産幹部を捜査していたが、モンゴル国政府高官への利益供与の金額が小額であることや、資金提供の趣旨から「営業上の不正の利益を得るため」の要件の立証が困難として立件見送りを判断した。 タンザニアのスズキホール問題 鈴木宗男が力を入れているタンザニアのキマンドル中学校講堂(スズキホール)に絡み、2000年12月1日に鈴木宗男が外務省職員に政治資金から800万円の現金を手渡し、外務省職員が東京三菱銀行を通じてタンザニアに送金した問題。 このことについて外務省職員が個人的な国外送金に、直接携わったのは不適切という問題が浮上。また外国為替法ではマネーロンダリングを防止する等の目的で金融機関に本人確認義務を課しているが、外務省職員が鈴木宗男名義ではなく自分名義で送金したため、外国為替法違反の疑いが浮上した。 コンゴ臨時代理大使人事介入問題 2000年6月に任命された駐日コンゴ臨時代理大使に対して外務省によって外交官等身分証明票発給が拒否された事件。 コンゴ(旧ザイール)の政変に伴い、2000年5月に今まで臨時代理大使を務めたヌガンバニ・ミゼレに本国への召還命令が出て、6月に代わりにヌグウェイ・ヌダンボが駐日コンゴ臨時代理大使に任命された。しかし、ヌガンバニは帰国せずに大使公邸に留まる一方で、大使館の鍵を新臨時代理大使であるヌグウェイへの引き渡しを拒む。 ヌグウェイ・ヌダンボは日本の外務省に外交官等身分証明票を申請。外交関係に関するウィーン条約では、臨時代理大使の任命については受け入れ国の同意の必要はなく、派遣国から外交官等身分証明票の通告があった場合はただちに発給しなくてはならないが、鈴木宗男の秘書であるジョン・ムウェテ・ムルアカがヌグウェイの臨時代理大使と認めない意向を示して外務省に介入。日本の外務省からヌグウェイの外交官等身分証明票発給はされなかった。 また2000年8月、鈴木宗男が外務省の中近東アフリカ局参事官と同席した際、「(ヌグウェイを)臨時代理大使として適当とは思わない。(本国への召還命令が出た)ヌガンバニ氏でいいのではないか」と他国の大使館人事に介入する発言をした。鈴木の秘書のムルアカも外務省アフリカ第一課を2度訪ね、ヌグウェイの臨時代理大使待遇に異を唱え、ヌグウェイと会った外務省職員を罵倒した。 その後も外務省がヌグウェイへの外交官等身分証明票発給方針を固め、アフリカ第一課長が鈴木宗男に同方針を伝えると、鈴木は拒否反応を示した。 外務省は中近東アフリカ局審議官をコンゴに派遣し、コンゴ政府に対して臨時代理大使人事人事を白紙に戻すよう交渉したが、コンゴ政府は重ねてヌグウェイを臨時代理大使として認めるよう要請された。 帰国した審議官からコンゴ政府の報告を受けた鈴木宗男は、ヌグウェイの言動を強く非難した。 結局、ヌグウェイは外交官等身分証明票は発給されないまま、コンゴ政府から駐日コンゴ臨時代理大使の任を解かれた。 ケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電所問題 日本のODAによってケニアのソンドゥ・ミリウ水力発電事業の建設に絡む問題。 ソンドゥ・ミリウ水力発電所(英語版)建設工事を受注した鴻池組が1997年から2000年にアフリカ外交に影響力が強い鈴木宗男に政治献金していることから、利権疑惑が浮上した。 また鈴木宗男が証人喚問で「1999年8月に初めて(ソンドゥ・ミリウ水力発電所を)知った」と証言した。ソンドゥ・ミリウ水力発電所は1985年から開始され1987年に日本・ケニア間の最優先事項として借款契約され、鈴木宗男が1991年と1992年にケニア訪問の際にダニエル・アラップ・モイ大統領と会談内容について質問をされると、鈴木宗男は「残念ながら覚えていない」「大統領と会談したか覚えていない」と曖昧な証言をした。 2000年5月8日の衆議院外務委員会で参考人招致された駐ケニア大使経験がある青木盛久が「ソンドゥ・ミリウ水力発電事業について、鈴木議員に1998年7月と10月に鈴木宗男議員に申し上げていた」と発言。そのため、鈴木宗男の「1999年8月に初めて(ソンドゥ・ミリウ水力発電所を)知った」とする証言が虚偽の疑いが浮上した。
※この「その他の事件」の解説は、「鈴木宗男事件」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「鈴木宗男事件」の記事については、「鈴木宗男事件」の概要を参照ください。
その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 15:04 UTC 版)
「大津市中2いじめ自殺事件」の記事における「その他の事件」の解説
2012年7月12日、加害生徒を殺害するとの脅迫文を滋賀県知事に郵送したとして、大津警察署は脅迫の疑いで、愛知県武豊町の69歳の男性を逮捕した。2013年3月11日、同校の卒業式の前日に、同校の施設の窓ガラス4枚が小石で破壊されているのが発見された。また「校長は自殺しないのか」と書かれた紙とカミソリが入った封筒が同校に届いた。大津警察署は器物損壊事件および脅迫事件として対応した。
※この「その他の事件」の解説は、「大津市中2いじめ自殺事件」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「大津市中2いじめ自殺事件」の記事については、「大津市中2いじめ自殺事件」の概要を参照ください。
その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:16 UTC 版)
東京高等裁判所の管轄に属する民事事件及び行政事件のうち、主要な争点の審理につき知的財産権に関する専門的な知見を要する事件は知的財産高等裁判所が取り扱う(知的財産高等裁判所設置法2条3号)。
※この「その他の事件」の解説は、「知的財産高等裁判所」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「知的財産高等裁判所」の記事については、「知的財産高等裁判所」の概要を参照ください。
その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 05:24 UTC 版)
1969年、国学院大学映画研究会フィルム差押事件最高裁勝訴。 1978年、新幹線運賃差額返還訴訟、東京地方裁判所で勝訴。 東海道新幹線の東京-大阪間の普通運賃が、遙かに運行距離の長い在来線東海道の東京-大阪間と同じなのはおかしいとして、1975年福井のデザイナーが当時の国鉄を相手に差額200円の返還を請求して訴えた。一審では勝訴したが、二審判決直前に新幹線と在来線が同一運賃になるように国鉄運賃法が改正された[9]。 日本の銀行の海外(アメリカ、オーストラリア、フランス)融資契約後のトラブル解決 外資系会社と日本商社とのジョイントベンチャー契約 バブル崩壊後の海外企業への不動産信託受益金の売却 多国籍の絡む船舶差押(ニューヨーク港、名古屋港、アブダビ港)事件 2001年の商法並びに税法の改正に伴い、中小企業のための会社分割、民事再生による債務者企業の立て直しの成功例多数 税務訴訟多数 総合病院(200ベット)立ち上げ業務
※この「その他の事件」の解説は、「後藤孝典」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「後藤孝典」の記事については、「後藤孝典」の概要を参照ください。
その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:13 UTC 版)
城崎沖不審船事件(1970年4月14日):城崎沖で巡視船「あさぎり」が底引網漁船に偽装した不審船(15トン程度)を発見。停船命令を無視して北方へ逃げる船を約5時間、220kmにわたり追跡したところ、不審船から自動小銃らしきもので2-3回にわたり銃撃を受け、追跡を断念。乗員は無事、船体に異常なし。 加賀市沖不審船事件(1971年7月31日) 日向灘不審船事件(1985年4月25日-27日) 美浜事件(1990年10月28日):福井県三方郡美浜町の海岸に上陸用小型艇が漂着した事件(詳細は外部リンクを参照)。 北朝鮮半潜水艇撃沈事件(1998年12月18日):韓国領海内に侵入したところを韓国軍の沿岸監視要員に発見された不審船が、韓国海軍の追跡から逃れるために長崎県対馬への侵入を図ったところ、追跡していた韓国海軍によって対馬沖70kmの公海上で撃沈される事件が発生した。後の引き上げ調査で、当該不審船は北朝鮮の半潜水艇と判明した。海上保安庁では、1999年3月までの間、対馬沖の警戒を強化し、対馬や五島列島の住民を対象に防犯指導を実施した。
※この「その他の事件」の解説は、「不審船」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「不審船」の記事については、「不審船」の概要を参照ください。
その他の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 21:14 UTC 版)
2008年、仮眠中の女性看護師に暴行目的で、注射針を刺しけがを負わせたとして、強姦致傷と傷害の容疑で、東京女子医大病院の30代の心臓血管外科医が逮捕された。 そのほかにも、週刊誌にはたびたび告発記事が掲載されている。
※この「その他の事件」の解説は、「東京女子医大事件」の解説の一部です。
「その他の事件」を含む「東京女子医大事件」の記事については、「東京女子医大事件」の概要を参照ください。
- その他の事件のページへのリンク