金聖愛_(舞踊家)とは? わかりやすく解説

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金聖愛 (舞踊家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/01 20:20 UTC 版)

キム・ソンエ

金 聖愛
김성애
生誕 北朝鮮
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金聖愛
各種表記
チョソングル 김성애
漢字 金聖愛
発音: キム・ソンエ
ローマ字 Kim Sŏng-ae(MR式
Gim Seong-ae(2000年式
英語表記: Kim Sung-ae
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金聖愛(キム・ソンエ、김성애)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)出身の舞踊家1977年鳥取県米子市で失踪した特定失踪者の古都瑞子の目撃証言を行った人物[1][2]

人物情報・証言

金聖愛は、北朝鮮の歌劇団「血の海歌劇団」(1946年創立、1971年改称)で活躍した元女性ダンサーで、中国の大連市を経由して配偶者とともに大韓民国に亡命した脱北者である[2]

彼女は、2004年発行の雑誌『FRIDAY』(平成16年1月23日号)において、1977年(昭和52年)11月14日に鳥取県米子市で失踪した皆生温泉の中居、古都瑞子(ふるいち みずこ、失踪当時47歳)を目撃したと証言した[2][注釈 1]

それによれば、古都は金聖愛の姑の親友によく似ているとのこと。1990年(平成2年)に咸鏡北道清津市の外貨食堂で行った金聖愛の結婚式で、古都が歌と踊りを披露したとのこと[2]。その歌は、牧村三枝子の「みちづれ」だった[2]。踊りは日本の伝統舞踊で、たいへん上手だったという[2]。結婚式では、祝いの品としてSEIKO腕時計を古都よりもらったとのことである[2]。出会ったとき、古都は60歳ぐらいにみえた[2]。最後に古都に会ったのは2002年(平成14年)2月だったという[2]

脚注

注釈

  1. ^ 古都瑞子は旅館での通称は「洋子」で、1977年11月14日午後9時に旅館での仕事を終えて一時帰宅し、その後普段着に着替えて出かけたまま失踪した[3]。自宅には近く東京へ行くための切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルが置いたままであった[3]

出典

  1. ^ 荒木和博 (2014年12月19日). “目撃証言について【調査会NEWS1732】(26.12.19)”. 2025年10月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 荒木和博 (2024年10月30日). “北朝鮮における証言・情報について(10月29日会見資料修正)”. 2025年10月1日閲覧。
  3. ^ a b 失踪者リスト「古都瑞子(通称:洋子)”. 特定失踪者問題調査会. 2025年10月1日閲覧。

関連項目




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