阿部雅美の取材と北朝鮮の関与報道
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「アベック失踪事件」の記事における「阿部雅美の取材と北朝鮮の関与報道」の解説
産経新聞社会部記者の阿部雅美は、この頃「日本海側の各地でおかしなことが起きている」という地元の噂を耳にし、取材を進めていたところ、3件の失踪事件と富山での誘拐未遂事件にたどりつく。阿部は3件の失踪事件に共通点が多いこと、誘拐未遂事件の遺留品が日本製でなかったこと、またその時に4人組がアベックを袋に入れたことに着目し、「袋に人間を入れて運ぶという発想は日本人では考えられない」と疑問をいだいた。また、1978年夏には外国を発信源とする怪電波が多くキャッチされていたことが、警察庁の調査で明らかになっていた情報も入手する。これらの事実を元に阿部は一連の事件として結びつけていく。 1980年(昭和55年)1月7日、産経新聞は1面トップで「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と暗に北朝鮮による犯行であることを示唆。阿部によるスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、当時の日本では社会党をはじめ親北勢力が政界・マスメディア界で幅を利かせており、他のメディアも「産経は公安の情報に踊らされている」として、動かなかった。社会党も、友好関係にある朝鮮労働党の「北朝鮮は事件と関係ない」とする説明をそのまま信じ、拉致被害の解決や奪還の国民運動まで高まることはなかった。 しかし、1997年(平成9年)の「20年前、13歳少女拉致」の阿部のスクープによって横田めぐみの北朝鮮拉致報道がなされたのを契機に、政府も世論もようやく北朝鮮による日本人の拉致という現実を知り、あわせアベック3組の失踪も拉致の可能性が高まった。世論による被害者奪還運動も各地で起き始め、その後政府が拉致被害者を正式に公表する流れへとつながっていく。阿部自身も同年、ようやくアベック失踪事件記事の重要性が認められ、17年を隔てた2件のスクープで新聞協会賞を受賞している。
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