阿部野橋ターミナル整備構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:32 UTC 版)
「あべのハルカス近鉄本店」の記事における「阿部野橋ターミナル整備構想」の解説
1970年代に入ると、泉州沖に関西国際空港の建設が予定され、大阪の南の玄関として天王寺・阿倍野エリアの重要性が高まっていた。1977年(昭和52年)、親会社の近畿日本鉄道では阿部野橋駅周辺整備プロジェクトチームを設け、「阿部野橋ターミナル整備構想」を策定。この中に当店の増床工事が含まれており、1983年(昭和58年)に着工した。1988年(昭和63年)11月11日 には増床した新館(現在のウイング館)がオープン。近畿日本鉄道本社、ならびにそごう大阪店や池袋パルコ(旧・東京丸物)を設計した村野藤吾の遺作となった。 当時西日本で最大だった阪急百貨店大阪・うめだ本店(当時)を上回り、営業面積は西日本一の約58,600m2に拡大している。 「夢スタジアム」のキャッチフレーズの下、売場では「日本最大または日本初」「大阪最大または大阪初」「近鉄発」の3本を軸に問屋頼みからの脱却を図って、自主MDを実施する特化売場を設け、定着し次第、売場の5~6割をこのような売場にするとした。売場以外では関西国際空港の開港で難波と並んで陸の玄関口となるエリアにふさわしく、「大阪府旅券事務所」も併設する旅行館、キタ・ミナミに対して文化性とアメニティが欠けていたとされる阿倍野で近鉄百貨店のイメージアップと文化発信基地としての役割を果たし、生活者とアートの融合の場である近鉄アート館といった施設も設けている。さらに、阿部野橋ターミナルビル新館には当店に加え、近商ストア運営の生活用品専門店「オールウェイズ」、近鉄商業開発(1987年5月1日設立)が運営し、南米の都市・ラ・セレナにちなんで名付けられた若者向け専門店街「ラ・セレナ」が出店しており、近鉄流通グループの旗艦店とされた。これらの店舗に加えて、ビル内には三井銀行(当時)阿倍野支店も新たに入居した。 アクセスについては近鉄南大阪線をはじめ、天王寺駅に発着する鉄道路線に加え、阪神高速道路からのアクセスが良く、マイカーにおいては梅田よりも優位だとし、大規模な駐車場を備えた。奈良そごうの出店を計画していたそごうから奈良県内などの商圏を守ることに加え、阪神間でブランド力のある阪急百貨店や大丸との競争も見越している。 これに加えて、CIの導入とロゴマークの変更、平野区と八尾市への大規模流通センター建設、海産物卸売のジャパン・シーフーズの設立といった整備も行っている。また、当店は上本町店、奈良店、橿原店、東京店を管轄下におく本店となった。
※この「阿部野橋ターミナル整備構想」の解説は、「あべのハルカス近鉄本店」の解説の一部です。
「阿部野橋ターミナル整備構想」を含む「あべのハルカス近鉄本店」の記事については、「あべのハルカス近鉄本店」の概要を参照ください。
- 阿部野橋ターミナル整備構想のページへのリンク