日本共産党による産経新聞接触禁止命令と拉致問題調査交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:39 UTC 版)
「サンケイ新聞事件」の記事における「日本共産党による産経新聞接触禁止命令と拉致問題調査交流」の解説
元来サンケイ新聞は反共主義を掲げていたが、この事件によって両者の反目は決定的となった。その中で1988年(昭和63年)、北朝鮮による日本人拉致問題のうち、アベック失踪事件を追っていた日本共産党の橋本敦議員秘書であった兵本達吉は、情報源となる1980年(昭和55年)1月の産経新聞の記事について、執筆者の阿部雅美に連絡を取った。日本共産党からは産経新聞との接触を禁じられていたが、兵本は構わずに阿部の元に電話をかけた。阿部も相手が共産党関係者と聞くと構えた口調になったが、兵本の熱意に押され、事件の内容をこと細かく話したという。しかし両組織の関係上、この2人が実際に会えたのは横田めぐみの拉致が明らかになった後だったという。
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