拉致報道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:02 UTC 版)
「富山県アベック拉致未遂事件」の記事における「拉致報道へ」の解説
「北朝鮮拉致問題」も参照 1980年(昭和55年)1月7日、サンケイ新聞は1面トップで「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と報じ、国名は出さなかったものの暗に北朝鮮による犯行であることも示唆した。しかし、阿部のスクープは「虚報」「誤報」としてほとんど黙殺され、いわゆる「後追い報道」は1件もなかった。「サンケイは公安の情報に踊らされている」という見方もあった。新聞各社が黙殺した最大の理由は、「確証がなければ動けない」という政府や政治家、警察の対応にあった。 1980年のサンケイ報道が日の目をみたのは、1988年(昭和63年)3月26日の参議院予算委員会での梶山静六国家公安委員長(竹下登内閣)による「梶山答弁」であった。日本共産党議員の質問に対して、未遂事件をふくむ一連のアベック失踪事件が「北朝鮮による拉致による疑いが濃厚」「人権侵害、主権侵害の国家犯罪であることが充分濃厚」であり、「警察庁がそういう観点から捜査を行っている」ことを明確に述べた梶山の答弁は、日本政府が初めて、北朝鮮による日本人拉致事件を認めた画期的、歴史的な答弁であった。これはもとより警察組織の確証があっての発言であり、トップニュースになってしかるべき内容をそなえている。しかし、NHKも民放も一切この答弁をテレビニュースとして報じなかった。サンケイ新聞と日本経済新聞がほんのわずかふれただけで、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞はまったく報道しなかった。 国民の多くが拉致事件に関心をもつようになったのは、1977年(昭和52年)に失踪した13歳の少女横田めぐみが、実は北朝鮮工作員の拉致による可能性の高いことが報道されるようになった1997年(平成9年)のことであった。これは、兵本達吉(日本共産党参議院議員の秘書)や石高健次(朝日放送テレビ)らの調査・取材でしだいに明らかになったことであったが、梶山答弁からは既に9年の歳月が流れている。今となっては、取り返しのつかない空白の9年間であった。
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