当初の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:13 UTC 版)
1978年7月7日に福井県小浜市で地村保志・浜本富貴恵、7月31日に新潟県柏崎市で蓮池薫・奥土祐木子、8月12日に鹿児島県日置郡吹上町(現、日置市)で市川修一・増元るみ子の、それぞれ3組のカップル6名が相次いで失踪する事件が起こった。事件がいずれも海岸で起きていること、行方不明者に失踪する動機が見当たらないこと、海岸まで乗ってきた交通手段(自動車など)が放置されたままであることなど、当初から不可解な点が目立った。 これらの事件の直後、1978年8月15日、富山県で海水浴中のアベックが4人組の男性に襲われる事件が起きる(富山県アベック拉致未遂事件)。アベックは猿ぐつわをはめられ、体ごと袋に入れられたが、ちょうど近くを通った犬の鳴き声を聞いた男達はアベックを置き去りにして逃亡した。アベックはそれぞれ袋に入れられたまま近くの民家に助けを求めた。場所は海岸で、海水浴場の一角でもあった。しかし、4人がステテコ姿にズック靴で海水浴客とは到底思えないような格好だったこと、そしてアベックの近くでずっと座ったまま身を潜めていたこと、これらのことをちょうど救助先の民家も当日海水浴場にいて不審に感じていたことから、土地勘のない人間による犯行の可能性が考えられた。さらに、4人組が現場に残した遺留品を鑑定した結果、猿ぐつわや手錠等の品質から、工業力に劣る外国製の物であることが判明した。 なお、新潟県佐渡郡真野町(現、佐渡市)の自宅近くで曽我ミヨシ・曽我ひとみの母子が、同じ1978年の8月12日に拉致されている。これは、鹿児島でのアベック拉致と同日であり、富山での拉致未遂もほぼ同時期で、北朝鮮の工作機関の活動がきわめて大規模であったことを示している。
※この「当初の経緯」の解説は、「アベック失踪事件」の解説の一部です。
「当初の経緯」を含む「アベック失踪事件」の記事については、「アベック失踪事件」の概要を参照ください。
- 当初の経緯のページへのリンク