北朝鮮への引き渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 19:35 UTC 版)
1949年4月末に北朝鮮から朝鮮人民軍文化部司令官の金一が派遣され、瀋陽で高崗、北京で朱徳と周恩来、毛沢東と会談し、朝鮮族部隊の引き渡しを要請した。毛沢東は3個師団の内、中国東北に配備されている2個師団は引き渡せる準備ができていると答えた。 1949年3月初めに第164師の副班長以上の将兵150人が新義州に入り平壌砲兵軍官学校に入学した。同年6月に朝鮮人民軍は教官が派遣し、長春で幹部訓練班を設け、正規化した班と幹部らを訓練させた。 1949年7月、第166師の約1万2千人の将兵は方虎山に引率され丹東を経て新義州に到着し、朝鮮人民軍第6師団に改編された。1949年8月、第164師の約7500人は金昌徳に引率されて羅南へ到着し、朝鮮人民軍第5師団に改編された。 1950年1月に朝鮮人民軍作戦局長の金光侠が訪中して総参謀長代理の聶栄臻と面会し、第4野戦軍内の朝鮮族兵士の引き渡しを要請した。 1950年3月に第4野戦軍の各軍、第13兵団や特殊部隊所属の朝鮮族指揮員及び戦闘員は鄭州に集結し、独立第15師を編成した。師長は全宇、参謀長は池炳学が就任した。その他に1個独立団と1個独立大隊が編成された。全宇に引率されて同年3月末に北朝鮮に入り独立第15師は朝鮮人民軍第7師団に改編され、独立団は第4師団に編入され第18連隊となり、独立大隊は平壌の機械化歩兵連隊に編入された。 上記の他にも1945年夏以降に小規模の部隊が続々と北朝鮮へ移動していた。国共内戦で成長した朝鮮族部隊の殆どは北朝鮮に移動し、朝鮮人民軍に編入された朝鮮族兵士は歩兵部隊の総兵力約20万人の2、3割を占め、朝鮮半島の軍事バランスを北朝鮮側に傾けた。
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