北朝鮮への渡航
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「アジア未来航海」と名づけられた第29回クルーズや、「コリア・ジャパン未来クルーズ」と名づけられた第50回クルーズなど、ピースボートは数回にわたり朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡航している。また、過去に万景峰号をチャーターして北朝鮮へのクルーズを行ったこともある。
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北朝鮮への渡航
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東京の板橋調理師会事務所の会長の紹介で、1982年7月、月給50万円の条件で初めて北朝鮮へ渡り、平壌の普通江ホテル近くの「安山館」の自身が設計した寿司屋で働いた。招待所へ寿司を作るために出張した際に金正日と知り合い、握手もして顔見知りとなった。金正日の好みは、マグロのトロの握りであった。やがて藤本は10日に1日は金正日から声がかかり、呼ばれるようになった。1983年の正月に一時帰国してうどんやそばの乾燥めんを仕入れ、それを振る舞ったが、帰国者たちからは大好評であった。しかし、安山館の責任者と微妙に話の食い違いが生じ、本来ならば1年契約だったが、少し前倒しして1983年5月に日本に帰国した。金正日は、藤本にマツタケの缶詰を土産に持たせた。 1989年から金正日の専属料理人として仕えた。藤本の証言から、藤本が単なる料理人としてのみ仕えたのではなく、正日および家族から信頼され、子供達から胸の内を発露される立場にさえあったことが伺える。藤本によれば、宴会場で金正日が自分(藤本)にチップを投げてよこしたのに立腹し、それを藤本が拾わなかったことが彼に強い印象を与え、その気骨をかえって評価され、信頼を得ることが出来たのではとしている。1990年に朝鮮労働党員になり、同時に朴哲(パク・チョル)という朝鮮名が与えられ、正日から2人の子どもたち(金正恩 - 当時7歳、金正哲 - 当時9歳)の遊び相手として指名されたという。なお、金正男には北朝鮮で会ったことはないとも述べている。 北朝鮮在住時の1989年に現地の民謡歌手・厳正女(オム・ジョンニョ)と結婚し、息子1人と娘1人がいる。1994年には、朝鮮労働党中央委員会秘書室員となっている。1990年代には度々、食材などの買い付けのため日本へ来たが、1996年に一度入国管理法違反で逮捕され、釈放後しばらく沖縄県に滞在したことがあったという。1998年、平壌から北京に買出しに行った際に、日本の警視庁の部長に電話したことが北朝鮮側の盗聴により露見。1年6ヵ月ほど平壌の自宅アパートで軟禁状態に置かれ、いつ強制収容所に送られるかという恐怖を味わわされたため、2001年に意を決し北朝鮮を脱出したとされる。その際、脱出の心添えをしたのが高容姫だったとされる。金正日の私生活を知る数少ない人物とされ、テレビ出演の際には、必ずバンダナとサングラスを着用している。これは北朝鮮の殺し屋から身を守るためとしている。その後、藤本の脱出を受け、家族は2年ほど順川市の炭鉱に送られて仕事をした。 しかしながら、なぜ金正日が自身と家族の生殺与奪に関与可能で、かつトップシークレットとしたいであろう身内家族の情報を知りえる立場の料理人に、わざわざ外国(それも仮想敵国)出身者を採用したのかは不明である。この点について、著書の解説者である菊池嘉晃は、「藤本氏は朝鮮語も何も知らないまま渡った。だからこそ、金総書記の料理人になれたともいえる。もし彼が最初から朝鮮語に堪能で、北朝鮮の内情に関心を持っていたとすれば、それこそ『スパイ』と疑われて金総書記のそばになど近づけなかったろう。藤本氏が金総書記のそばに置かれたのは、素直で明るい性格に加え、良い意味での“遊び人”であり、金総書記の大好きなバカラなどの賭け事はもちろん、さまざまなスポーツにも長け、気のおけない遊び相手になれたことが大きかったように思われる。藤本氏の身長が、(シークレットブーツを履いて)164-165cmとみられる金総書記よりわずかに低かった (162cm) のも幸いしたかもしれない」と述べている。 2003年に初めてマスコミに登場して以来、その後の著作を含めて、金正日の後継者は三男の「ジョンウン王子」であるとの見方を一貫して示してきた。三男の存在はほとんど国内外で知られておらず、儒教文化圏の国であることから金正男、もしくは次男の金正哲が後継者になると有力視されていた。藤本の北朝鮮への渡航自体の信ぴょう性が疑われたこともあったが、金正恩が正式に後継者指名されると、再びその証言の信頼性が見直されていった。
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