しょう‐にち〔シヤウ‐〕【正日】
金正日
(正日 から転送)
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金 正日(きん しょうにち[1]、きん せいにち[2]、キム・ジョンイル、朝: 김정일; IPA: [kim.dzɔŋ.il]; [ˌkɪm dʒɒŋˈɪl]; 1941年[注 1]2月16日 - 2011年12月17日[3][4])は、北朝鮮の政治家、軍人、独裁者。同国第2代最高指導者(1994年 - 2011年)。称号は朝鮮民主主義人民共和国元帥、朝鮮民主主義人民共和国英雄(3回受章しており「三重英雄」と称される[注 2])。死後、大元帥の称号を追贈された。
注釈
- ^ 朝鮮民主主義人民共和国公式発表では1942年。
- ^ 1975年2月24日、1977年2月、1982年2月15日の3回。なお、1度目の授与は当初2月15日に予定されていたが、その時点では辞退している。
- ^ 「イルセノヴィチ」はロシア式の父称で「イルソン(日成)の息子」を意味する。
- ^ 金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校(高級中学校は日本の高等学校に相当)卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる[8]。
- ^ 日本のマスコミで金正日について初めて報道したのは毎日新聞(1974年11月19日付)。金正日は「金正一」と表記されている。
- ^ 当時、朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルールではあり得ないこととされている。
- ^ これは北朝鮮は建国当初から漢字を全廃(教育分野では継続)しており、不確定要素についてはさまざまな推測を用いて漢字をあてられていた。
- ^ 金正日はこの時のことを記憶しており「雄基港の灯台について深い印象が残っている」と語っている[11]。
- ^ 当時の北朝鮮では9月に入学・進学がおこなわれていた。
- ^ 卒業論文は『社会主義建設における郡の位置と役割』(実際の作成者は大学の指導教授だった黄長燁)。
- ^ 既に1972年12月22日の党第5期中央委員会第6回総会において金正日を「唯一後継者」とする秘密決定がおこなわれている。
- ^ 黄長燁(後の党国際担当書記)は「金正日が繰り広げる酒席の光景は、想像を超えたらんちき騒ぎだった。その場で1人を指して『今日からお前は党中央委員会の委員だ』と宣言してしまえば、その通りになり、『誰それはクビだ』と言っても、その通り執行された」と証言している[19]。こうした現実を知らなかった金日成は幹部らに「正日がわしの息子だからこんなことを言うのではない。彼は私の革命思想と主体思想を最も高い水準で体現しているのだ」と話していたといわれる[19]
- ^ 「党中央」の表記が最初に登場したのは『労働新聞』1974年2月14日付社説である[20]。
- ^ 日本語では『将軍』に対しての敬称は『閣下』であるが、朝鮮語では上位者を呼ぶ際に社長様、先生様など肩書きの後に『様』をつける呼び方が一般的に用いられている。従って「将軍様」の厳密な訳はただの「将軍」である。同様の敬称として金日成に対する「首領様(수령님(首領님):スリョンニム)」などがある。なお、日本において2019年(平成31年)4月30日に行われた皇位継承について、当時韓国の国務総理だった李洛淵がTwitter上で「天皇様(천황님 漢字: 天皇님)」と表現している[1]。
- ^ 列車はすべて爆弾に耐えられる仕様になっているという説もあるが、実際は金正日が搭乗する客車の床にだけ防弾鉄板が敷かれているともいわれる[誰によって?][88]。
- ^ 1965年、父金日成に随行したインドネシア訪問時では飛行機の利用が確認されている。
- ^ また、2011年1月13日に、イギリスと中国の旅行会社が共同で開設した北朝鮮でのアマゴルフ大会(4月26日 - 4月30日に開催された)ツアー販売のウェブサイトにもこの話が書かれている[要出典]。
出典
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「正日」の例文・使い方・用例・文例
- 金正日総書記は父金日成と同じく防腐保存される。
- 8月30日,小泉純一郎首相は,9月17日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のピョンヤン(平壌)を訪問し,北朝鮮の最高指導者,キム・ジョンイル(金正日)総書記と会談すると発表した。
- 小泉純一郎首相は,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のキム・ジョンイル(金正日)総書記と初の首脳会談を行うため,9月17日に北朝鮮を訪問した。
- 日本と北朝鮮の首脳会談で,北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記は,北朝鮮の工作船が過去に日本近海に侵入したことを認めた。
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