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崔仁徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 10:00 UTC 版)

崔仁徳
최인덕
生年月日 1920年
出生地 日本統治下朝鮮咸鏡北道穏城郡
没年月日 (2003-08-31) 2003年8月31日(86歳没)
死没地  朝鮮民主主義人民共和国
所属政党 朝鮮労働党
称号 金日成勲章共和国二重英雄

当選回数 7回
在任期間 1967年11月 - 2003年8月
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

その他の職歴
朝鮮労働党中央委員会委員
1970年11月 - 不明)
金日成軍事総合大学総長
1982年2月 - 2003年8月31日
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崔仁徳
各種表記
チョソングル 최인덕
漢字 崔仁德
発音 チェ・インドク
日本語読み: さい じんとく
M-R式
2000年式
Ch'oe In-dŏk
Choe In-deok
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崔 仁徳(チェ・インドク、朝鮮語: 최인덕1917年[注 1] - 2003年8月31日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮労働党中央委員会委員、金日成軍事総合大学総長などを歴任。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は次帥。金日成の伝令兵として抗日パルチザン活動に参加したことから、「抗日パルチザン世代」に分類される[2]

経歴

1917年日本統治下の咸鏡北道穏城郡で生まれた[2]。その後、抗日パルチザン組織組織の東北抗日聯軍に入隊し、金日成の伝令兵や遊撃隊の中隊長を務めた[1]。1946年6月、鉄道警備隊創設要員[3]。のち、歩兵独立旅団砲兵大隊長を経て[4]1950年朝鮮戦争時には第5連隊長を務めた[5]1967年最高人民会議第4期代議員に選出された[1]1970年に中将に昇進し[1]朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[1]1972年朝鮮人民軍東海地区司令官[1]1975年に第1軍団長に就いた[1]1973年に上将に昇進し[1]1974年社会安全部護衛担当副部長に就任した[1]咸興地区司令官を経て[1]1982年7月に将校養成機関の金日成軍事総合大学総長に就任した[1]1987年に大将[1]1992年に次帥に昇進した[1]2003年8月に実施された最高人民会議第11期代議員選挙で選出されず[2]、同年8月31日に持病のため死去[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 최인덕(崔仁德)북한지역정보넷
  2. ^ a b c d 北 최인덕 인민군 차수 사망 統一ニュース 2003年9月2日
  3. ^ 김선호 2020, pp. 156–157.
  4. ^ 김선호 2020, p. 459.
  5. ^ 6⋅25전쟁사 2 북한의 전면남침과 초기 방어전투』(PDF)국방부군사편찬연구소、2005年、290頁http://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201509140304490130.pdf2020年8月26日閲覧 

注釈

  1. ^ 北朝鮮地域情報ネットでは1920年生まれ[1]

参考文献

  • 김선호『조선인민군 : 북한 무력의 형성과 유일체제의 기원』한양대학교 출판부、2020年。ISBN 9788972186809 
  朝鮮民主主義人民共和国
先代
金日成軍事総合大学総長
1982年 - 2003年
次代
池基善



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